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side燿

「双葉!?」
突然扉が開いて、双葉が倒れこんできた。考えるより先に体が動いて、双葉の身体を抱きとめる。
双葉は大量の汗をかいて、浅く小刻みに呼吸していた。
「双葉…!?しっかりして!」
斎希が双葉に声をかけるも反応はない。
まずい…!過呼吸になってる…!
なんとか落ち着かせることが最優先だ。過呼吸はとにかく冷静に、呼吸を整えさせること。アスリート時代に何度も対処してきた。離れたところで捺波がおろおろとしているのを、刹那と十六夜がいさめている。おそらく私に任せるのがベストと判断したのだろう。
「双葉、落ち着いて。大丈夫だから。私の声聞こえてるか?」
双葉をソファーに座らせ声をかけ続ける。
「斎希、ぬれタオル持ってきてくれ。双葉、大丈夫だ。聞こえてたら無理して返事しなくていいから息をゆーっくり吐くことを意識しよう。焦らなくていいからゆっくり吐くことだけ考えるんだ」
声をかけ続けているうちに、少しずつ双葉の呼吸が深くなっていく。よしよし、いい傾向だ。過呼吸の時はまず気持ちを落ち着かせ息を深くするよう意識させる、これに尽きる。
「よしよし、いい子だできてるぞ。その調子だ」
斎希が持ってきたぬれタオルで額に浮かんだ汗をぬぐいながら寄り添い続ける。

甲斐あって、数十分ほどで双葉の過呼吸はかなり収まっていた。時折ひゅっと短い呼吸になるが、自分で意識して息を深く吐くことで落ち着こうとしている。
「よく頑張ったな、もう大丈夫だ」
双葉の頭をなでながら言うと、双葉は私のほうを見て力なく笑って微笑んだ。そのまま口を開いてなにかを言おうとした。―――――が、双葉の口から言葉が発されることはなかった。
「ぁ…」
まるで息を止めたまま声を出そうとした時のような音のみが開かれた口から零れ落ちる。思わず目を見開いた。双葉ははっとしたように自分の喉元に手をやり、悲しげに目を伏せた。
「双葉…?喉、つらいのか?」
私の問いに、双葉は小さくうなずいた。そして、口の前で手をぱっぱと開いたあと、両手で×を作って見せた。
「ひょっとして、声が出せないの?」
斎希の問いに、双葉はまた悲しそうにうなずいた。

「どうやら失声症のようですね」

それまでずっと黙っていた刹那がおもむろにつぶやいた。
「…し…っせいしょう…って…?」
捺波が聞き返す。
「声を失う症状、と書いて失声症です。その名のごとく、発声に支障をきたす症状のことですね」
「何が原因で起きるもんなの?」
「原因は多岐にわたります。アレルギーや過度な発声、喫煙などがあげられますが。今回は…おそらく心因性のものでしょう」
心因性。考えていることはみな同じだった。刹那によって抑えられていた事件の記憶のフラッシュバック。そのストレスが原因だろうと誰もが思った。
またも沈黙が流れる。
双葉の前でそれについてどこまで触れていいのか、そもそも話すこともタブーなのではないか。全員が双葉の前での身の振り方を掴みあぐねていた。
しばらくそんな重苦しい時間が続く。



「ねえ、なんかちょっと寒くなってきてない?あたしなんかすごいあったかい飲み物欲しくなってきちゃってさ」
その重苦しい空気を破ってくれたのは、十六夜だった。
「斎希、なにかあったかいもの作ってくれない?ココアとかホットレモネードとかさ」
十六夜が努めて明るく言っているのはすぐにわかった。斎希もそれはわかっていたようで、笑顔で立ち上がった。
「そうね、少し冷えてきたわね。待ってて、すぐ持ってくるわ」
たた、とキッチンへ入っていった斎希を双葉が申し訳なさそうに見送る。
「そんな顔しなくたっていーんだよ、双葉」
十六夜が、そんな双葉の隣にどかっと座って笑顔を向けた。
「ちょっと声がでなくなったくらいでそんなしゅーんとすることないの!あたしたちは仲間なんだから、誰かが辛い時は他のみんなで支えるの。当たり前でしょ?」 
でも…と言いたげに双葉の目が伏せられる。そのとき、捺波が思い立ったように立ち上がり、とてとてと物入れに行くとなにやら漁りだした。
 「…双葉、これ」
戻ってきた捺波が持っていたのは、包帯。そしてそれをキョトンとする双葉の喉に優しく巻き始めた。
「…?」
「…いつも、ワタシの包帯巻いてくれるの、双葉だから。今度はワタシが、早く双葉が治るようにって。…おまじない」
なるほどねぇ。 双葉は喉に巻かれた包帯をそっと撫でると、ぺこっと捺波へ頭を下げた。ちょうどそのタイミングで、お盆に6つの湯気のたつマグカップを乗せた斎希が戻ってきた。
「お待たせ。温かいココアが入ったわよ。」 
「お、サンキュー」 
「良かったー、抹茶とかじゃなくて」
「あら。じゃあ十六夜には一番濃厚なお濃茶を後で点ててあげるわね。とっても美味しいのよ。口が曲がるくらい苦いお茶と口がひしゃげるくらい甘いお茶菓子を一緒にいただくの。あとで私の部屋にいらっしゃい」
「く、口がひしゃ…!?え、えんりょしとくよ」
「遠慮なんてしないで。私もお茶会のたびに十六夜がいないなと思っていたの。せっかくだしこの機会に」
「やだぁーー!苦いのはいやだぁーー!」 
やいやいしている斎希と十六夜をみて、双葉が思わず吹き出した。声はなかったけれど、久しぶりに見た双葉の笑顔に、その場の全員が安堵した。
  「つーかさぁ双葉、人間がどちらサマのためになにが何でもなにかしないといけないとかないと思うんよな。人間生きてるだけで親孝行!存在するだけで癒やし!いつも言ってんだろ?双葉は元気に過ごしてくれるだけで私の役に立ってんの。強いて言うなら今の双葉のオシゴトはしっかり休んで元気になること!他のあれこれはその後に勝手になんとかなってるって」
 
 本当はこのあとどうしたらいいかなんて見当がつかない。けど、双葉の前で弱音なんて吐けない。幼い頃にそんなトラウマを植え付けられて、やむを得なかったとはいえ大事な記憶も抑え込まれて、よりにもよって息抜きのために出かけた先であんなことになるなんて。双葉の辛さや苦しみは私らには計り知れないんだろう。だから、私らがやるのは虚勢を張ること。せっかく笑ってくれた双葉を心配させないように、不安にさせないように元気に振る舞ってやることなのだ。私の言葉に、ずっと静かだった刹那がゆっくり頷く。
「そうですね。斎希のいれてくれたココアをいただいたら、皆さん適宜お休みください。まずは休養が最優先ですから。今後については明日以後に回したって構わないでしょう」
全員同意し、 そこからは和やかに過ごした。双葉がココアを飲み終わると、私と斎希が一緒に風呂に入り今日一日の汚れを落としてやる。
さっぱりして気持ちよさそうな双葉の顔に斎希と顔を見合わせて笑った。
 寝る支度も終わり、あとはそれぞれ部屋に戻ってベッドに入るだけといった場面で、双葉がくいくいと私のTシャツの裾を引っ張った。見れば、気恥ずかしそうに私と自分の部屋へ交互に視線をやっている。
「なに?一緒に寝てって?」
聞いてやると、小さく頷いた。しかたないな、と双葉の部屋に入り、一緒にベッドに入る。
ぶっちゃけ狭かったが、隣にある人の温かさは悪くなかった。少しだけ過去を思い出し、双葉の頭をなでてやる。しばらくすると、安心したような小さな寝息が聞こえてきた。
大変な1日だった。私も疲れていたのか、すぐにそのまま眠りについた。 

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