3

side神流

部屋に戻ったところにすぐ刹那から呼び出しのメールが届いた。
...面倒な。
せっかく戻ったところを、舌打ちしながらまた引き返した。
ノックするのすら面倒で、無断で扉を開ける。
「ああ、神流」
ノックがないことを咎めるでもなく、刹那は私を見て笑う。
「...何の用だ」
不機嫌な私の言葉に刹那がすっと目を細めた。
「あら。私があなたを雑務の手伝いをさせるために呼んだとでも?」
それはない。
わかっている。
こいつがわざわざ私を部屋に来させた理由...それは。
「...どうでもいい。早く内容を言え」
まず間違いなく...仕事の依頼だ。
「引き受けて頂けますか?」
「...さあな。まずは内容を聞いてからだ」
刹那の笑みが深まった。
「...なんだ」
「いいえ。ただ...今回の仕事が少し異色でして。どこから説明しようかと迷っていたのです」
そう言って、本当に少し考えてから刹那が口を開く。
「端的に言いましょう。今回あなたにお願いしたいのは、調査です」
...なに?
調査だと?
「...どういうつもりだ」
私に投げられるのは...汚れ仕事。
人にはとても言えない...裏仕事。
だからこいつは...私を部屋に呼びつける。
「もっとわかりやすく言えば...探偵、でしょうか」
「...そんなもの他の奴らにやらせておけばいいだろう。...私は降りる」
下らない探偵の真似事なんてやるつもりはない。
そう言い捨てて部屋を出ようとすると。
「まあ、そうおっしゃらず」
やんわりと私の行く先を阻む刹那。
舌打ちをして癪に障る薄ら笑いを見返す。
刹那はまた笑みを深めて私に座るように促す。
「...どういうつもりだ。私は受けるつもりはないといっただろう」
不機嫌を隠さずにいると、刹那は気に留める様子もない。
「話を聞いていただくだけで良いのです」
「...なぜ私が」
「是非とも」
やんわりとしたようではっきりとした通告。
...私に拒否権などはない、というわけか。
「...内容は」
「依頼人はとある会社のCEOです。どうやら社内でトラブルがあったようですね。それを調査してほしいとのことです」
「...それだけか?」
「ええ」
悪びれることもなく肯定する刹那に、いら立ちが募る。
...なんだ、こいつは。
...私にいったいなにをさせたいのかが全く読めない。
「依頼人は直接会って話がしたいそうですよ。あなたの端末にも情報は送ってあります」
「...いつ私が引き受けると言った」
「あなたならやって下さいますね?」
...こいつは本当に癪に障る。
選択肢を与えているように見えて、その実選ばせる気なんてない。
「...ちッ」
「ありがとうございます。依頼人のもとに送りますので、詳細はそこでお聞きください」
にこにことした刹那の顔を睨みつけると、ガラクタ―転送装置―に飛び乗った。
「では、ご武運を」
その言葉とともに、ガラクタが起動する。
こいつの放つ光は目に悪い。
すっと目をつぶり、目を開けた時にいた場所は、なにやら路地裏のようだった。
人目のない場所を選ぶ配慮はあるようだ。
端末を見てみれば、確かに刹那からデータが送られてきていた。
しかもご丁寧に集合場所までのマップまで添付されている。
...抜かりのないことで。
マップを頼りに進んでいくと、こじんまりとした店の前にたどり着いた。
...ここか?
本日二度目の舌打ちをしながらもう一度端末を見返そうとしたとき。
「...あ、あの」
か細い声で後ろから声がした。
ギロっとそっちを見やれば、思いのほかあどけない顔と目が合った。
...こいつが、依頼人か...?
「......」
「あ、あの、えっと...その...」
明らかに怯えられているが、私の知ったことではない。
「...なんだ?」
「い、いえ...その...僕...」
「...はっきりしろ」
もごもごとはっきりしない態度にただでさえ悪かった機嫌がさらに悪くなる。
恐らく依頼人であろうこいつは、しばらく下を向いて逡巡しているようだったが、意を決したように顔を上げた。
「か、カンナさん...ですか?」
...間違いないな。
こいつが依頼人だ。
「...そうだ」
答えてやると、依頼人は少し安堵したような顔をした。
どうやら、私が本当に依頼を受けてきた者かどうかが不安だったようだ。
「...無駄話をする気はない。依頼の内容を話せ」
...さっさと終わらせたいからな。
依頼人はうなずくと、店の戸を開けた。
中は薄暗く、何組か客が入っていた。
小さいが、なかなかこじゃれた内装だ。
「こちらへ」
見れば、依頼人は一番奥の一番目立たない席に座っていた。
何も言わず、依頼人の向かいに腰を下ろして腕を組む。
「僕が依頼人のアラステアです。魔装具会社の...一応、責任者です」
「...神流だ」
こいつ、CEOにしては随分と若い。
恐らく...二十歳そこそこだろう。
こんな若輩者が最高責任者とは...。
「...」
「僕の事、若すぎるっ...て思いますよね」
「...」
事実、若すぎる。
だが。
「...余計な話は結構だ。要点だけ話せ」
アラステアは少し驚いたような顔をしたが、すぐにまた戻った。
「わかりました。...端的に言いましょう。僕たちの技術が...横流しされている可能性があるんです」
...技術の流出...か。
「社内でそういう噂が立っているんです。技術を不正に流している者がいる...と」
「...噂?」
...たかが噂、だがされど噂だ。
...火のないところに煙が立たないように、そのような話になるならば何かしらあったということだろう。
...だが。
「...噂は噂だ。確証はないだろう」
アラステアは首を振った。
「ただの噂ならばいいのです...」
...まあ、そうだろうな。
「...ただの噂と割りきれないことがあったのか」
「その話をする前に、少しだけ僕たちのことをお話ししましょう」
アラステアはいったん座り直すと話し始めた。
「僕たちは魔装具の開発をしています。もともとは個人が始めたらしい小さな規模だったのですが、最近になって少しだけ知ってもらえてきたんです」
「...」
「僕たちの開発は初代...僕たちの会社を始めた人が編み出した技術に基づいています。そして、その技術は...野暮な言い方ですが門外不出の極秘とされています。そのため社員もその技術の事は存在することしか知らされません」
...どこかで聞いたような話だ。
どこでもあれこれ構わず極秘にしたがるのは同じ...というわけだ。
「その極秘の技術は、代々伝授されてきました。そして、後継者はその技術を守る義務が課されるのです」
「...」
「...僕も、その...後継者なんです。まだまだ...未熟ですが」
アラステアが自信なさげにそう言った。
...堂々とすればいいものを。
「その技術の伝授は、先代と後継者の二人きりで修行のような形で行います。誰も来れないような場所で、数週間...時には数か月かかることもあります」
数か月もの間、人から隔絶された場所で修行。
...私は絶対にごめんだ。
「...お前も、やったのか」
「ええ。だいたい...一か月半程度。先代と...一緒に」
そこまで話すと、アラステアはふっと言葉を切った。
顔を見られまいとしているのか深く俯いている。
...全く隠せていないがな。
「...その先代は?引退でもしたのか」
「いいえ...亡くなったんです。僕が...修行を終えた直後に」
「...」
それで合点がいった。
この...未熟で若すぎるCEOの存在に。
先代が亡くなったからだったのか。
肩が少し震えている。
「...そもそも、前から先代は体の具合が優れなかったんです。なのに、急にやるって。僕は何度も延ばそうって言ったのに...無理して...」
.........。
「...要点はわかった。話を戻せ...お前が異変を感じたのは何故だ」
子供の泣き言を聞くつもりはない。
アラステアは二、三回深呼吸をして、なんとか気持ちを鎮めたらしく、また話し始めた。
「...そうですね。先代が亡くなって、僕は急遽CEOとなりました。それで、跡を継いで開発を進めていたのですが...あるとき、他社から出された商品に明らかに僕たちの技術が使われていたんです」
「...極秘のやつか?」
もしそうだったら社を揺るがす大事だが。
「いえ...さすがにそれは大丈夫でした。使われていたのは、僕たちが開発過程で試作したものです」
「...そうか」
「もちろん、その試作品にも初代の技術は使われていますから、完全な模倣はできません。ただ、細部のパーツの配置や接続など、それ以外のところはほぼ試作品そのままでした」
...模倣する側も随分と下手なことだ。
技術をそのまま手も加えずに使うなど...バレないとでも思ったのか。
「...それで...お前の依頼は?技術盗用の証拠でも見つければいいのか?」
「いいえ。...正直なところ、試作品の技術盗用なんて大した問題ではありません。それよりも..."外部に技術を流出させた者がいる"ことが問題なんです」
...それはそうだろうな。
「今回は試作品程度ですみましたが...犯人は今回のことで味をしめたはず。恐らく放っておけばエスカレートするでしょう。...そうなれば...」
「...いつか...極秘の方の技術を流出されかねない、と?」
「...ええ。当然こちらもやれる限りの防衛策は重ねています。ですが...いつどこでほころびがあるか分かりません。エスカレートする前に...止めておきたいのです」
...強固な守りにも、必ず針の先程のほころびはあるもの。
それは私が一番知っている。
...私は幾度となくそのほころびを突いてきた。
「...いいだろう、概要はわかった。...最後に聞かせろ」
「はい」
「...上手く犯人を暴けたとする。...そいつはどうする?」
「へ?」
アラステアが目を丸くする。
...一度で理解できないのか、こいつは。
「...暴いたそいつは、始末するかと聞いている。...余計なことを知っている可能性もあるだろうからな」
これでも意味がわからなかったらしく、戸惑ったように目を泳がせた。
しばらくしてようやく理解したと思いきや、顔から血の気が引いていった。
「し、し、始末なんてダメです!しません!暴いて捕まえてくれるだけでいいんです!」
「...」
「いくら情報を流出させたからって、もとより僕たちの仲間ですから...傷付けたくなんてありません」
...随分と手ぬるい。
社を裏切ったのだから、さっさと消せばいいものを。
...だが、依頼人が言う以上は従うしかない。
「...好きにしろ。話はわかった」
ガタンと席を立つと、慌てたようにアラステアも立った。
「あの...」
「...依頼された以上、仕事はする。...まずはお前の社に潜らせろ。...話はそこからだ」
「は、はい!」
入った扉から外に出る。
薄暗い店の中にいたせいか、外がやたらと明るく感じて思わず目を細めた。
...ちっ。
何となく苛立たしくて心の中で舌打ちをする。
「んっ...眩し...」
後から来たアラステアも、やはり暗がりに目が慣れてしまっていたらしい。
「...さっさと終わらせる。場所は?」
「それでしたら、このあと僕は戻りますから一緒に行きましょうか」
腕を組んでくいっと行くように合図し、反応を待たずに歩き出す。
後ろから慌てて追ってくる足音がした。
「カンナさん、社に潜入すると仰いましたけど...いったいどうするおつもりですか...?」
...簡単なのは、何かに扮することだろうな。
だが、恐らく社員として入るにはいささかリスクが高い。
聞いた限り、最近名を上げたばかりならまだそれほど社員もいないだろう。
新入社員...という手もあるが...。
まずは警備やセキュリティか。
「...社の警備はどうなっている」
「入り口と試作品や開発途中のものが保管されている保管庫の前には必ず誰かが常駐しています。社内には...そうですね、だいたい5、6人が巡回していますね」
「...警備は人力なのか?」
思わず聞き返す。
「いいえ。さすがにそれだけでは心もとないので、それなりの防犯器具はあります」
「...どういう?」
"センサー"や"カメラ"でもあるのか?
「そうですね、例えば保管庫の扉の前には不可視の薄いシールドが張ってあります。これが僕たちが放つ微量の魔力を感知すると、左右に設置された魔水晶が強固なシールドを展開します。そして、複数回侵入を試みようとする場合は、迎撃します」
...迎撃、ね。
この世界でも赤外線センサーに準ずるものがあるとは驚きだ。
「...そうか」
「...どうするんですか?」
...そうだな。
「...お前の社に入れる者は社員以外に誰がいる?」
「そうですね...完成した装具や発注したパーツなどを運送する運送業者さんとか、掃除をしてくれる人とか...」
...運送業者や清掃員か。
「...他の企業との打ち合わせなどは?」
「そうですね...パーツなどを依頼しているところくらいでしょうか」
「...それは...お前が対応するのか?」
「ええ、基本的には。もちろん他の仲間が数名参加することも多々あります。...ただ...」
「...?」
アラステアは言いにくそうにうつむきがちになった。
「大抵、僕たちの社に出入りするのは、顔ぶれがだいたい決まっているんです。運送してくれる人はこの人、パーツを依頼しているところとの打ち合わせはだいたいこの人が来る...みたいな」
「...誰かに扮するのは...難しい、と?」
「普段なら、どうにかなったかもしれませんが...特に今は社内もピリピリしています。ちょっとしたことが火花になるかもしれません」
...あまり面倒ごとは起こさず、必要最低限に留めろ。
そう言いたいらしい。
...面倒だが、依頼人の要請だ。
「...いいだろう。だが、その分私だけではどうにもならないことが増える。...その時は力を貸せ」
「僕にできることなら」
...素直なことだな。
「もうすぐです」
「...そうか」
周りの人間たちの服装を見る。
なんとなくだが、自分は浮いていないだろうか。
いうなれば、私たちの世界でアニメや漫画のような恰好をしている者がどうしても浮くような、そんなことになっていないかが気がかりだったのだ。
周りの者たちの装いはかなり多岐にわたっていた。
まさしくファンタジーないったいどういう構造になっているのか頭を抱えそうな装備から、私たちの世界にいても違和感のないものまで。
どうやら杞憂だったようだ。
「カンナさん?」
「...気にするな」
アラステアについて歩いていると、突然目の前になにやらごちゃごちゃとした建物が現れた。
「あそこです」
「...」
なんとも形容しがたい建物だ。
巨大というわけではないが、決して小さくはない。
「カンナさん。こちらへ」
こういうのは、地の利がある者に頼るが吉。
おとなしく素直についていくと、どうやら入口らしいところに着いた。
普通サイズの入口の横に、巨大な扉がどっしりと構えている。
...従業員入口と搬入口だと思っておくか。
従業員入口の横に、何やら水晶球のようなものが置いてあった。
扉には鍵らしいものは見えない。
アラステアはその水晶球に手をかざし、何やら唱えながらあれこれと動かした。
「......」
じっとその動きを見つめる。
最初は両手をかざしてから右手を左手の下にもぐらせるようにして交差させる。
そのまま右手を水晶球の周りをなでるようにぐるり一回転させてからまた最初の形に戻り、今度は同じことを左手で。
次は右手を水晶球の右、左手を上にやってから右手を前、左手を左側に移動させ、右手をスライドさせるように後ろ側へ。
左手をまた級の上を通って右側へスライド、そしてまた最初のように普通に戻す。
すると、従業員入口がスーッと開いた。
あの動きがいわゆる認証コードだったらしい。
「...これで入れます」
緊張しているのか、わずかにアラステアの声が震えていた。
...感情が隠せないやつだ。
つかつかと中に入ると、中は意外に普通だった。
さて、ここからが本番だ。
...だが、その前に。
「...まずはお前の部屋へ行く。だが、そこまでの道中は私は見つからないようにする。声も当然発しない。...何も考えず普段通りに振る舞え」
さらに緊張した面持ちでうなずく依頼人。
...自然にしろと言っているだろうが。
行け、と顎で指示をした。
アラステアは大きく深呼吸をして私に背を向け歩き始めた。
今度こそ、本番だ。
周りの景色を見回してから、軽く念じる。
すると、私の体をうす黒い靄が包んだ。
そして、足音を殺してアラステアの後を追った。
一番最初の曲がり角。
足音がした。
...奥から一人。
「ああ、アル。お帰り。どこ行ってたんだ?」
「あ、ああ。ただいま。ちょっと外の空気吸いたくて」
アラステアと同じか、少し年上らしい男。
...同僚か?
「そうか...まあ、大変だよな。我らが責任者サマなんだからな。...それに今は、どうにも空気が重いからな...俺も息が詰まりそうだ」
「...うん」
...どうやら社内がピリピリしているというのは本当のようだ。
「じゃ、俺これから休憩だから。またなアル」
「うん。お疲れ様」
ひらひらと手を振りながらこちらへ来た同僚らしき男は、私に見向きもせずに横を素通りしていった。
...私の役にも立たない力とやらで唯一できること。
それが幻覚を見せることだ。
今私は自分の周りに薄く闇の力を張って、周囲の景色と同じ幻覚を見せているのだ。
前を見ればアラステアが唖然として視線をあちこち泳がせている。
...私の姿が見えなくなって驚いているらしい。
...あれだけ自然にしろと言っただろう。
頭を抱えたくなったが、黙っていた。
アラステアも少しするとまた気を取り直したように歩き出した。
私もその後をついていく。
「アルちゃん。お疲れ様」
通りすがりの女社員が手を振る。
さっきの男にも言えるが、仮にもCEOを呼び捨てないしちゃん付け、か。
随分と距離が近い。
それだけ会社のなかでは可愛がられているということか。
あれこれ思案しているとアラステアがそれまでとは一回りほど大きな扉の前で立ち止まった。
どうやらそこが執務室らしい。
入るのにも先のようなのがいるのかと思ったが、アラステアは扉の取っ手辺りで人差し指を一回転だけさせ、そのまま部屋に入って行った。
そして、扉が閉じないよう押さえていたので、足早に私も部屋の中に入ると、軽く耳打ちした。
「...閉じろ」
何もいないように見えるところから声がしたのに驚いたのか、アラステアの肩がびくっと跳ねる。
しかし、そのまま何事もなかったかのように扉を閉めた。
完全に閉められたのを確認してから、身体を覆っていた靄を消した。
「カンナさん」
「...」
部屋の中は想像以上に質素だ。
大きめの窓に、一揃いのデスクと椅子。
デスクの上には書類が何枚も散らばっている。
よくは見えないが、どうやら設計図のようだ。
奥の方に作業台らしいものもある。
その上にはなにやらいじられていたらしい部品。
「...」
「ここが僕の仕事場です。ここで試作品の構想を練ったり軽く試作品をいじったりしてるんです」
「...お前ひとりで試作するのか?」
「いえ、あくまで軽くです。お遊びみたいなものですよ」
アラステアはそう言って笑うと、ふっと真面目な顔になった。
「それで...カンナさん。ここに来て、これからどうするんですか?」
「...いくつか質問がある。それにまず答えろ」
「...わかりました」
まずは...鍵だ。
「...この建物、いたるところにあるガラス玉...、あれが鍵なのか?」
「ええ,そうです」
「...あれは何を基準に扉を開けている」
「魔力です。それで個人を特定しています」
私たちでいうところの指紋認証みたいなものだろう。
どこかに忍び込むのは容易ではないということか。
今回の依頼ではいつもと違って誰かを無力化し、鍵を奪うというようなことも許されない。
...面倒なことこの上ない。
「...盗られたとかいう試作品は、現物が盗られたのか?」
「......」
「...?」
「...恐らく設計図だと思います」
...まあ、確かに現物を持ち出すより設計図の紙一枚持ち出す方が遥かに効率的で成功率も高い。
「...ならその設計図は」
「種類ごとにまとめて専用の棚に保管していました」
「...その鍵は」
「例の水晶で行っています。開けられるのは僕を含めた研究開発担当たちと、もう一人アドルファスという僕の右腕です。...あっ」
「なんだ?」
「あ、い、いいえ...」
「...そうか。...それで、お前は目星はついていないのか」
「え?」
また目を瞬かせるアラステアにため息が出た。
「...情報漏洩者の目星はついていないのかと聞いている」
「...僕は何も」
「.........」
アラステアが私の視線から逃れるように目をそらした。
先ほどの社員とのやり取りを見るに、こいつ自身社員とはかなり親密らしい。
仮にも責任者であるこいつをあだ名やちゃん付けなど、普通出来ることではないだろう。
それほどの仲ならば、何かしら気付くことがあっても良い筈だ。
...というより、この反応を見る限り間違いなく何かある。
「......」
無言で見つめる。
しかし、特に手ごたえがない。
どうやら本当に言う気がないらしい。
...全く、依頼したのはそっちだろうに。
ここで無言の押し問答していても埒が明かない。
「...もういい。...社内図を見せろ。少し社内を歩かせてもらう」
「え、あ、はい。あの、お一人で大丈夫ですか?」
「...むしろ一人の方が楽だ。...私が呼ぶまで頭でも冷やしていろ」
社の見取り図を受け取り、いくつかメモをする。
そして先ほどのように姿を消すと私の体が通れるぶんだけ扉を開け、外に滑り出た。
まずはその保管庫とやらに行ってみるか。
見取り図を頼りにたどり着いた保管庫は、想像以上にしっかりとしていた。
入口の前に例のガラス玉の鍵、そしてその扉を警備している者もいる。
また、両サイドに鍵とは違うらしいガラス玉も置いてあった。
"例えば保管庫の扉の前には不可視の薄いシールドのようなものが張ってあります。これが僕たちが放つ微量の魔力を感知すると、左右に設置された魔水晶が強固なシールドを展開します。そして、複数回侵入を試みようとする場合は、迎撃します"
アラステアの言葉がよみがえる。
恐らく、このガラス玉がそうなのだろう。
...うかつに近付けないな。
だが、社員ならば解除して中に入ることくらいできるだろう。
...次、設計図の保管場所。
資料保管室に設計図はまとめてあるらしい。
場所は保管庫からそう遠くはない。
足音を殺して移動する。
姿は見えないものの、音まで消せるわけではないからだ。
...本当に中途半端な力だ。
資料保管室は、どうやら出入り自由のようだが、油断はできない。
見たところ先ほどのようなシステムは見当たらない。
...どうするか。
うかつに入ろうとしてセンサーが発動したりしたらお笑いだ。
誰か来るのを願うか...。
そう思った時、中から声がした。
「ねー、ちょっとここ開けてくれない?」
「了解了解、ちょっと待ってね...」
どうやら中に人がいたらしい。
数歩後退ると、資料室の扉が開いて中から若い女が二人出てきた。
一人は空けた扉を押さえ、一人は手一杯に資料の束を抱えている。
「ありがとー。あーー...重いよー...」
「頑張れー」
「いや手伝ってよ!ちょっと置こ...」
どさどさっと抱えた紙束を下ろし、手をぶんぶん振っている。
どうやらここで井戸端会議を始めるらしい。
...こいつらがいなくならない限り動けない。
何かの参考までに、聞いていることにした。
「あの一件以来あちこち鍵つけられて大変だけど、ここはつかなくて助かったわ」
「ねー。両手ふさがってたらキツイもんね」
「なーんか社もピリピリしてるしねー...やんなるわ」
「アドルファスさんとか、あれ以来もう鬼だよ鬼。ただでさえ厳しいってのに...」
「あーーー、そっか。あんたあの人の部下だもんね。最近ヤバいって聞いたわ」
「ほんと毎日きついよ。アルさんみたいに優しい人の下にいたかったなあ」
「でもそのアルさんも最近沈みがちみたいよ。社の責任者だし色々大変なのかもね」
「でもすれ違ったら笑顔で挨拶してくれるよ?ほんとうちの鬼上司にも見習って欲しいわ。社長と右腕とで違いすぎ」
「まあ、アドさん誰よりもこの会社のことを大事に思ってるし、こんな事件が起きたら腹も立つよね」
「確か試作品が外に流されたんでしょ?」
「そんな話だったね。どうやって保管庫から持ち出したのかな?防衛用のクリスタルまで置いてるのに...」
「それこそ知らんよ」
「って、やばっ!あんま遅いとまた雷落とされる!」
「そうじゃん!いこいこ!」
足早に去っていく二人組を見ながら、私は口角をあげた。
...井戸端会議も、無駄ではないな。
いくつか引っかかる点もあった。
だが、まずはこの資料室には鍵はないとわかった。
周囲に気を配りつつ、できるだけ音をたてないように中に滑り込んだ。
中は、背の高い棚にファイルが所狭しと詰め込まれている。
「...」
特に物音はしないが、油断は禁物だ。
さて、設計図はどこにあるのやら。
話に聞けば、一ヶ所にまとめて鍵をかけて保管しているとのことだが...。
...しかし、埃っぽいな。
棚や資料、傍に置かれた足場に埃が積もっている。
あちこち歩き回って、かなり奥まったところまで行ったとき、壁側にある棚が見えた。
前には例のガラス球もある。
...恐らくあれだろう。
さすがに開けるのは骨が折れるので、外から覗く。
「...」
どうやらファイリングしてまとめているらしい。
ファイルの背には試作品の名称が書かれている。
どうやら三段目あたりの棚が最近のものらしい。
資料にも棚にもそれほど埃が積もっていない。
...それにしても随分と高い棚だな。
だいたい...三メートルはあるだろうか。
他の棚同様、足場が取り付けられている。
「...?」
確かな違和感を覚え、足場の傍に寄った。
...間違いない。
埃が、積もっていない。
「...」
ひょっとしたら。
その足場を上って、上の方の棚を見てみる。
上の方は本当に手を付けられないのだろう。
あちこち埃が分厚く積もっている。
「...!」
そんな中、一つのファイルだけ埃が払われ、棚の埃に出し入れされた跡らしい筋。
何かが頭の中で形作られつつあった。
...だが、まだまだ不透明だ。
一度、アラステアの執務室に戻るか。
...確認したいこともできたからな。
執務室の入口に手をかけようとしたとき、外からまた声がした。
...さっきの二人組だ。
棚の陰に身を隠す。「細かい!細かすぎる!」
「ご苦労様です。でもあんたも少しは見習った方がいいんじゃない?あんたが持ってく資料間違えなければこんな二度手間になってないんだから」
「うぐ...それはまあ、そうだけど。でもあの人は几帳面ってレベルじゃないんだよ!超えてんの!あの人郵送物の中身とリスト逐一照合してくんだよ?適当にポンポン印捺せばいいのに」
「確かにそこまで行くとヤバいね...」
「あの人しか確認印捺せないっていうのもどうかと思うよ私は」
「どーかん。そうそう、さっきちょっとすれ違ったけどアドさん不機嫌だってのよくわかったわ」
「でしょ?...この間ね、実はあの人の机の上に飲み物こぼしちゃって」
「えっ...やば...どうしたのそれ」
「たまたまその時あの人いなかったからあわてて拭いたよ。そしたら郵送するはずの封筒が置かれてたのを床にばらまいちゃって」
「不注意が過ぎる」
「いや、でもばらまいたおかげで汚れなくてすんだんだよ!...ちょっと折れ曲がったりはしたけど...」
「もうちょっと気を付けて生活しなよ...」
「ぬ、濡らすよりはずっといいでしょ!」
...この二人、少しおしゃべりが過ぎるな。
どこで誰が聞いているかわからないなか、よくもペラペラ話せるものだ。
ある種の敬意を抱きつつ、私はアラステアの部屋へと足を向けた。 

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