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アラステアの執務室に戻ると、私は術を解いて腕を組んだ。
「何かありましたか?カンナさん」
尋ねてくるアラステアを無言で見返す。
「カンナさん?」
「...また少し質問させろ」
「...ええ、構いません」
アラステアも何かを察したようだ。
「...お前は、盗まれたのは"設計図"だと言ったな」
「ええ」
「...ならば、"試作品"は今もあるはずだな?」
「...そうなりますね」
「...それを確認したい。可能か?」
アラステアは黙ってうなずいた。
瞳の奥で、何か言いたげな光がちらついていた。
「こちらへ」
先行するアラステアのあとを、また姿を消して付いていく。
行き先はもちろん保管庫だ。
前までは先ほども行った。
入り口を警備していた者が、アラステアを見て微笑んだ。
「お疲れ様です、アラステアさん。何かご用ですか?」
「うん、お疲れ様。少しこの間のパーツを見たいんだ。上手く組み込めそうな設計図を思い付いたんだけど、細部を確認したくて」
「そういうことでしたら、どうぞ」
警備員は、すっと場所をあけた。
アラステアはまた社に入るときと同じようにロックを解除すると、保管庫の扉を開けた。
そのまま入るだろうと思いきや。
「あ、そうだ」
そのまま警備員の方に振り返った。
...なるほど。
意思はすぐにわかった。
私はアラステアの横をすり抜けて開いたままの扉を通った。
一人が扉を開ける時間はごくわずか。
その間に、怪しまれることなく二人目が通るのは難しい。
だからこそ、アラステアは警備員に話しかけることで開けたままにする口実を作ったのだ。
「...そういうことで、お願いします」
アラステアは警備員と一言二言やり取りしたのちに入ってきた。
そのまま、奥に歩いていく。
私もそのあとに続いた。
膨大な数の試作品。
どれにも何やら番号のタグが付けられていた。
書かれているのは...識別番号か?
入ってから二番目の筋の半ば辺りでアラステアは立ち止まった。
どうやらここが目的地のようだ。
アラステアが指差す方を見て、私は面食らった。
雑多にものが置かれた棚のうえで、一ヶ所だけ空白があるのだ。
そこに、本来なにかが置かれていたのは明白だ。
「...お前、どういうつもりだ?」
思わず問い詰めるような声が出た。
しかし、アラステアは動じる様子はない。
「ご覧の通りです。確かにここにあった試作品はなくなっています」
「...何が言いたい?」
とぼけるような口振りに苛立ちが募る。
...ん?
「...いや、待て。...実際に盗用された設計図の試作品は?」
そう問うと、アラステアはふっと笑った。
そして数歩歩いた辺りを指差した。
「これです」
指の先には、確かに試作品があった。
...どういうことだ?
いや、状況はわかる。
問題はなぜ...ここにズレが生まれるのかだ。
「...これは、どういう試作をしたものだ?」
「先ほどなくなっていたものの試行錯誤段階のものです」
「...つまり...失敗作か?」
「失敗作というより...未熟品、といったほうがいいでしょうね」
未熟品...だと?
そんなものをわざわざ好んで漏洩させるはずがない。
...これは、少し整理が必要か。
「カンナさん、他には何かありますか?」
声をかけられ、黙って首を振る。
「そうですか。なら、出ましょう。あまり長居しても怪しまれますから...」
「...ああ」
言われるままに保管庫の扉の方へ向かうが、頭はひたすら先ほどの疑問について考えていた。
「ご確認はできましたか?」
「おかげさまで。また戻って色々やってみるよ」
アラステアと警備員のやり取りが遠くの方で聞こえる。
どうやら執務室に戻るらしい。
...一応ついていくか。
少し今わかっている事実の整理もしたい。
アラステアが部屋の扉を少し広めに開け、足早に中に入った。
「カンナさん。なにか気になることでもあるんですか?」
「...いくつかな。...何か書くものを貸せ」
「はい...図面用ですが、これでよければ」
差し出されたのは羽ペンとインク。
...羽ペン?
この世界の者たちは設計図を描くのに羽ペンを使っているのか。
私としては書ければ何でもいいのだが。
受け取った紙と羽ペンで、今わかっていることを書き出した。
- 資料室、埃の跡
- 保管庫、盗まれた試作品
- ・・・・・。
?盗用された技術と実際になくなった試作品のズレ
?盗まれたのは試作品なのか設計図なのか
?認識のズレ アラステア→設計図、社員→試作品
これで少し考えてみるか...。
「僕は仕事がありますので、何かあればお呼びください」
完全に考える姿勢に入った私を気遣うように、アラステアが奥の部屋に姿を消した。
さて...どこから入ったものか...。
まずは...そうだな。
"資料室の埃のあと"から始めるか。
と言っても、だいたいの見当はついているが。
最上段のファイルを出し入れしたあと、そして埃の積もっていない足場。
他の個所は綿埃が張り付くほどに手が付けられていなかった。
恐らく相当前の設計図たちだと考えていいだろう。
そんなになるまで放置されていたファイルを、今になって引っ張り出す必要性。
急遽見る必要が出た可能性もあるだろうが、ならばもっとあちこちに出し入れした形跡が残るはずだ。
最上段のファイルに何が保管されているかなど明確に記憶しているとは思えない。
つまりそれが出された理由。
...木を隠すなら森の中、か。
いや、待て。
これは、アラステアを信用する場合だ。
今まで時折見せていた反応を見るに、あいつはまず間違いなく"何か"を持っている。
あいつ自身が漏洩させた張本人と追う可能性だって十分あり得るのだ。
依頼人に偽りがないなどという綺麗事は通用しない。
これはいくつか並行して考える必要がありそうだ。
あいつが嘘をつくとすれば、まず盗まれたものだ。
盗まれたのが試作品だったとすれば、保管庫から持ち出す必要がある。
まあ、それは社員なら試作したいだのなんだの言えば難なく持ち出せるだろう。
それで、情報を流してから...それから?
ならばなぜ私に盗まれたのは設計図だなどと言う必要がある?
ましてや、盗用された技術は実は保管庫から消えた試作品のものではなく未熟品のものだったなんて言う意味があるか?
何も言わずに、そのまま最新の試作品が盗まれて技術が盗用されましたといえば済むことだ。
余計なことを言わなければ、私も何も疑わなかっただろう。
あいつが犯人だと考えると、腑に落ちないことだらけだ。
ならば、あいつが言っていること―盗まれたのは設計図―は、本当だと考えていいかもしれないな。
だが、謎は残る。
なぜ社員は"試作品が盗まれた"と思っている...?
実際に保管庫に行けばズレに気付くはずだ。
つまり、社員は"保管庫のなかを見ていない"ことになる。
まあ実際、技術に携わる者たち以外はあんな保管庫に行くことはそうそうないだろうからな。
警備しているものも、巡回していたといえど正直何がどこにあったかなんて正確に記憶しているとは考えにくい。
だが、話は広まっている。
保管庫でも、一応試作品はなくなっていた。
ならば、誰かが偽りの情報を流したということか...?
そうだとすれば筋は通るか...いや待て。
それにしたって、なぜ「ズレ」る...?
流した情報と異なる試作品を隠す必要があるとは思えない。
「...ちっ」
どちらを前提にしてもつじつまが合わない...。
それに、アラステアは何を持っているんだ...?
それともすべて私の思い込みなのか...?
私が何か思い当たる節はないか聞いたとき、あいつは一瞬口ごもって私から目を逸らした。
...確実に何か持っている者のしぐさだったのだ。
「...ふっ」
軽くため息をついた。
手元を見れば、羽ペンから数滴垂れたインクが紙に黒い染みを作っていた。
垂れたインクは紙の上で滲み、黒い円が二つ重なった形になった。
ぼんやりとその染みを見ていた時。
「ッ!!」
そうか、一人でやったというには辻褄が合わない。
ならば...。
バラバラだったパズルのピースが一気に頭の中でつながった。
「何か、わかったんですか?」
あの後、おおまかなことは解けた。
まだ調べるべきことはあるが...それよりも。
そう思い、アラステアを呼び出したのだ。
「...お前、私に嘘と隠し事があるな」
顔を合わせるなり放った私の言葉に、アラステアの瞳が細められた。
「...なぜ、そう思うのです?」
しらを切るわけでもなく、認めるわけでもない返答。
否定しないあたりでもう答えだと思うのだがな。
とはいえ、素直に言う気も無さそうだ。
順を追って説明するしかないだろう。
「...今回、意味の分からないことが二つある。...なくなった試作品は最新のものだったのにも関わらず、実際に盗用されたのは未熟品だったこと。そしてもう一つはお前は盗まれたのは設計図だと言っていたのに実際に社内に広まっている話では試作品だと言われていたことだ」
「...」
「...疑いの目を逸らしたり、撹乱するためだとも考えられるが...だったらもっとマシなやり方がいくらでもあったはずだ。...疑いの目を逸らすためだとしたら、目論見が露呈しかねん無駄な小細工をするとは考えられないしな...一人でやったとするにはあまりに筋が通らない」
アラステアはなにも言わずに私を見つめている。
「...なら話は簡単だ。...一人がやったとするから辻褄が合わない。なら...二人いたと考えればいい」
「...共犯がいた、と?」
「...そんなふざけた共犯があるか。...まず一人目は言うまでもなく犯人だ。そして二人目は...犯人の目論見を覚り...トラップを仕掛けた者だ」
「トラップ...?」
「...ああ。...そう考えれば、さっきのズレに説明がつくからな。...恐らく、二人目は犯人が本来流そうとしていた設計図を見つけ、何のためかは知らんがそれを別の...実際に流されたものとすり替えた。...犯人はすり替えられたことに気付かず、そのまま間違ったものが外に流出したんだろうな。...犯人は、周りの目を欺くためにいくつか小細工をしていた。その一つが...あの隠された試作品だ。...外に流れたのは試作品だと思わせるためにな。...実際社員は試作品が流されたのだと話していた」
「...」
「...そうなると持ち出された設計図はオリジナルではなく、コピーだということになる」
「なぜそう言えるんです?」
「...設計図のオリジナルを流して、試作品を隠してしまってはこれまたせっかくの小細工の効果が半減するからだ。...何かが盗まれれば、どうやって盗んだかやいつやったかなどを考えるだろう。...それを見越して、試作品は自分には盗めないからと容疑から外れようとしたはずだ。...犯人は設計図をコピーしたあと、それを元の場所に戻したと考えるのが妥当だろう?」
「待ってください。あなたは設計図を盗まれたということを前提にしていますが、どうして盗まれたのが試作品ではなくて設計図だとわかるんです?僕は...確かに、そう言いましたが、それだけじゃ...」
「...誰がお前の言葉だけで判断するか。当然お前が嘘を言っている可能性も考えた。...お前自身が漏洩させた張本人の可能性だって大いにあるからな。だが...そうなるとお前が盗まれたのが設計図だなどと抜かす理由がなくなる。...盗まれたのは試作品だと言っておけばいいだけの話だ。...わざわざせっかくの小細工を破綻させることは言わないだろう。...それになくなった試作品と実際に盗用されたものが違うということを私に言ったのもお前だった。...あんなことを言ってしまえばそこのズレから何か勘ぐられることくらい想像がつく。...少なくとも、犯人ならばそんなことは言わない」
「...っ...」
ぐっと黙りこくったアラステアの鋭い視線を感じる。
私は構うことなく続けた。
「...お前だろう?...犯人に罠を張った"二人目"は」
「……」
私たちの間に緊張をはらんだ沈黙が落ちた。
そして、アラステアがふーーーっと大きく息を吐き出した。
「さすが...です。カンナさん」
ゆるり、と閉じられた目が開く。
「あなたのおっしゃる通りです。僕が...あなたのいう罠を仕掛けました」
「...認めるな?」
「ええ。もう隠すことはありません。...すべて...お話しします」
「...」
「修行から急遽戻った時は...確かに先代のことでてんやわではありましたが、別段なにかあったわけじゃありませんでした」
「...」
「僕たちも色々なところに受注書やら発注書やら受けたり送ったりしていますから、それなりに紙のやり取りは多いので普段はほとんど気に留めません。ですがあの時...終業近くまで部品の研究開発に没頭していて、気がついたら社員は皆帰宅していました。一区切りついて僕も上がろうとしたとき...偶然一通の封筒が机の陰に落ちていたのが見えたんです。てっきり重ねられていたものが滑り落ちて、そのことに気付かなかったのだと思い...拾い上げました。そのときまだ封がされていなかったので、何気なく中身を見た時...背筋が凍りました。中に...つい最近完成した設計図が入っていたのですから...。社の技術は当然流出禁止ですし、どんな例外があったとしても設計図を送付するなんてあり得ません。...最悪の考えがよぎりました。でも...ひょっとしたら何か僕の知らない理由があったのかもしれない。どうすべきか、迷いました。...だから...」
「...すり替えたんだな?」
「そうです。もし...本当に何か理由があるならば、遅かれ早かれ僕の耳に入るはず...そのときはその場で何とかすればいい。そう思いました。でも...二日経っても何の音沙汰もありません。そんなときに、他社の製品に明らかに僕たちの技術が使われているという話が飛び込んできて...」
「...何者かが情報を漏洩したと確信したのだな」
「...信じたくありませんでした。僕が偶然気付けたために最新の技術が流出することは防げましたが、そんなことよりも...情報を外に流すようなことを...社の仲間がしたのだということが」
「...」
「とはいえ、ことが社内で明るみに出てしまった以上、対策は考えなくてはなりません。いろんなことが頭の中で浮かんでは消えて。それで、気を紛らわせようと理由もなく保管庫に行ったんです」
「...なるほどな。...そこで、設計図と違う試作品がなくなっていることに気が付いたんだな?
「ええ。そこからはカンナさんのお考え通りです。資料室の設計図を保管している棚に確認しに行ったら...あるはずのない設計図が元通りありました。そこで、大まかな流れがわかったので、その目論見の上にさらに細工をしました」
「...」
...その先は、もう聞く必要はない。
次にやるべきこと...それは当然やった人物の特定。
怪しい人物はいるが、証拠がどうにもない。
...いや、待て...。
...ひょっとしたら...。
「...おい。お前」
言いかけた言葉が口から出ることはなかった。
扉の外から人の気配がしたからだ。
おそらく社員だろうが、下手に聞かれるとまずい。
首をかしげてカンナさん、と声をかけようとしてくるアラステアを目で止める。
アラステアの机の上にあった適当な紙にさらさらとメモをして渡した。
それを見たアラステアは少しの間メモを見ていたが、やがて緊張した面持ちで私にうなずいた。
アラステアが理解したことを確認してから、私は人の気配が過ぎ去るのを確認してから静かに外に出た。