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sideアラステア
やることを終わらせたカンナさんが帰ってしまってからそれなりに時間が経った。
もう日も傾き始めている。
やるべきことはやってあるし、準備もした。
それに...切り札もある。
カンナさん...あの人は本当に凄い。
たった一日でまさかここまで...優秀の一言ではとても表せない。
「ふー...」
緊張から、もう何度目かわからない深呼吸をする。
そんな心境だったから、扉がノックされたときは飛び上がった。
「は、はい?」
平静を装って答えるが、明らかに声が裏返った。
あああ、やらかした。
「...社長?私です。アドルファスです」
低くて落ち着いた声が扉の外から聞こえた。
「あ、アド?」
「入ってもよろしいですか?」
今度は裏返らないように、ニ、三度咳払いをする。
さっきみたいなことにはもうならないぞ。
「ああ、どうぞ」
よし大丈夫だ、裏返ってない。
かちゃりと扉が開いて、書類の束を抱えた男性が入ってきた。
「お疲れ様です。社長」
「うん、アドもお疲れ様」
アドルファス。
この会社に先代が元気だったときから勤めている。
仕事がすごくできる先代も頼りにしていた人物で、今は僕の右腕として日々支えてくれている。
もともとはデスクワークの担当だったけど、先代が軽く手伝わせていたから少しなら開発関連のこともわかるらしい。
僕なんかよりよっぽど有能だし、年上だから最初はさん付けで呼んでいたんだけど...僕が会社を継いでからは呼び捨てにしている。
...アドが、僕は自分より目上なのだからって。
「印をお願いしたい書類です。後ほどご確認を」
アドは片手で静かに扉を閉めると、僕の机までやってきてそっと書類の束を置いた。
結構量あるな...僕の人差し指の半分くらい高さありそう。
これ全部確認するのかぁ...と少しげんなりする。
「結構あるね、量...」
つぶやきながらアドの方を向くと、意外にも少し心配そうな顔と目が合った。
「いささか顔色が優れないご様子。...失礼」
「え?」
すっと手が伸びてきて、僕の額に触れた。
思っていた数倍冷たくて身体が跳ねかける。
「...少し熱いですね。お疲れなのでしょう」
いたわるような声が降ってくる。
視界は上の方がアドの手で塞がれているから、表情は見えない。
...アドは、いつもこうやって僕を気遣ってくれる。
「...最近、ちょっと気を張ってたからね」
「無理ないこと。...社に心無い者がいたのですから」
当然アドも知っている。
そして僕に、対処は自分が請け負うから何も気にせず研究開発に専念するよう言ってくれた。
「正直、ちょっと参ってる...かも」
実際、結構きてたことは事実だ。
呟くようにそう言うと、額に当てられていた手がふっと離れた。視界を覆っていたものがなくなり、代わりに肩にそっと乗せられる。
「貴方は責任感がお強い方です。気にするなと言っても難しいでしょう。ただ、以前にも言った通りそちらの対応は私がやります。貴方は安心して研究開発に専念してください」
肩に乗っている手に、そっと自分の手を重ねた。
今まで、僕はこの手に何度も何度も助けられてきた。
先代からの技術を学ぶため、初めて僕が社に入ったときに支えてくれたのもこの手だった。
なんども失敗して先代にどやされて、飛び出して一人悔し泣きしてたときに慰めてくれたのも、先代が亡くなって、急に会社を担わなくてはならなくなったとき、何もわからなくてパニックになってたときに道を示してくれたのも...。
そして、技術が流出したときに不測の事態に対応できなかった僕の不手際のリカバリーをかって出てくれたのも...この手だった。
本当に感謝してもしきれない。
...だけど、向き合わなくちゃいけないんだ。
僕は、アドが技術を流出させたのだと疑っているのだから。
僕は、無意識に伏せていた目をあげて真っ直ぐにアドを見つめた。
「ねえ、アド。...その技術流出の対応について、現状どうなってるのか...教えてくれる?」
すっと肩から手が離れた。
アドの眉が、訝しげにひそめられる。
「...なぜです?」
「僕は、形ばかりでもこの社の社長だ。責任を持たなきゃいけない地位にいる。だから...ちゃんと知らなきゃいけないと思う」
アドの目を真っ直ぐに見てそう言った。
落ち着いて理知的だけど...どこか昏く陰っている瞳に僕が映っている。
アドってこんな目だったっけ...。それなりに一緒にいたはずなのに初めて知った。
「...なるほど。確かにそうですね」
本当に納得したのかどうかはわからないが、とりあえず話してはくれるみたいだ。
僕は自分のデスクに座って、アドを見上げる。
「といっても、恥ずかしながらそれほど進んでいるわけではありません。わかっていることは、盗まれたのは以前作った試作品であること程度です。いったいどうやって持ち出したのか...」
いかにも困ったという風に、アドはため息をついた。
「やっぱりアドもそう思うんだね。盗まれたのは試作品だって」
「も、とは?」
「いや、社内でもそういう噂が有力だからさ」
「ああ、社員のことですか。私は保管庫を実際に確認しに行って、そこで試作品がないことに気付いたものですから」
...やっぱりそう言うよな。
こうなってしまった以上、そういうしかないのはわかってる。
でも...。
「じゃあ、アドも気付いたでしょ?」
カマをかける。
「...」
アドの目が心なしか冷たく細められたように見えた。でも、これを聞かないわけにはいかない。
だって、アドなら見ればわかるはずだから。
「貴方がおっしゃっているのは...実際に盗用された技術と消えた試作品のズレのこと...でしょう?」
「...そうだね」
まあ、さすがにわかるか。
「私も不審に思っているのです。なぜあのようなズレが起きているのか...」
「アドとしては、なにか仮説はない?」
少しずつ踏み込んでいく。
ここからは互いの読み合いだ。
アドももう僕が自分を疑っていることくらいわかってるはずだ。
「......」
アドのこちらを見透かそうとするような視線が絡みつく。
なんとなく目を逸らしたくなったけど、ここで逸らしたら負けだ。
なんか、そんな気がする。
僕はプレッシャーにあらがってまっすぐに見つめ返す。
「...そうですね。安易ではありますが、工作の類でしょう。...恐らく犯人のね」
まあそう来るよな。
「そうか。なんでそんなことする必要があったんだろうね」
「さあ、そこまでは」
そこでまた沈黙...さあ、どう出ようか。
今のところこちらはあまり手の内を見せずに来ているけど、そろそろ限界な気もする。
アドは聡明だ、そう簡単には隙を作ってくれないだろう。
「...社長。貴方は...何か腑に落ちておられないようですね」
ほらね、こうやって向こうもこっちを探ってくる。
ここはどう切り返そうか。
「...うん。そうなんだ。僕は...あれが犯人のやったこととはちょっと思えなくて」
「...ほう?」
ここで間違えたらこちらの手の内がバレる。
...慎重に、あくまで慎重に。
「普通さ、犯人が工作するのは自分が罪から逃れるためでしょ?だったら、あんな人の目を引く工作するかな」
「...」
「やるにしても、逆じゃないかな。初期段階の試作品を盗まれたように見せかけて、実際は最新式を横流しする...そうした方が自然じゃない?」
「...あくまでそれは先入観にすぎません。何か理由があったのではとも考えられます」
「そもそも。なんでわざわざ初期段階のものなんか流したんだろう。せっかく大きなリスクを背負って横流しするんだよ?最新式のにした方が絶対に徳だと思うし、実際相手方にも需要あると思うんだよね」
「...」
アドも少し考えるようなそぶりを見せた。
さて、どうくるかな...?
「貴方のおっしゃりたいことはわかりました。ならば、こう考えてはいかがでしょう。実際に横流し先が求めたものが、最新式ではなかった...と」
「...どういうこと?」
「基礎技術が狙いだった...とかね」
基礎技術...ね。どうかな...それは。
「だったら基礎技術の完成品を持っていけばいい。それに基盤となる部品やパーツはものによって改変したり応用したりするだろ?」
「...」
アドは有能だけど、開発関連については深くかかわっていたわけじゃないから知識は浅薄だ。
何か...ボロを出してくれないかな。
「実際のことはわかりかねます。...私の力が及ばず、いまだ犯人を突き止められていないのは言い訳のしようがありませんが」
変なことを言うより、素直にわからないと言うこと。それも賢明な判断だ。
ボロを出すことを恐れてるんだろう。
「...そうだね。ごめんね、変なこと言って」
「いえ、お気になさらず」
アドはにっこりと微笑んだ。
でも、その目から温かさはもう感じない。
「...お聞きしてもよろしいですか?社長」
今度はアドが僕にカマをかけてきた。
「何を?」
「何か、仮説がおありなのでしょう?」
「...」
おありなのでしょう、ときたか。
「...仮説...っていうほど立派なものじゃないけどね」
「構いません。是非お聞かせ願いたい」
ふ、と息を整える。
「僕は...盗まれたのは試作品じゃなかったと思うんだ」
「...ほう?」
さっき、試作品を隠したのは犯人ではないのではと言った時と同じ。
鋭く細められた目と冷たい声。
「...やっぱり、あのズレを考えると試作品を盗んだとは思えない。そもそも、盗むリスクが高すぎるんだ。試作品を盗んで、誰の目にも触れないように持ち出す。保管庫には必ず誰かついているしね」
「では、どうやって技術は外に流れたと?まさか口頭でなどとは...」
「まさか。技術を口頭だけで伝えるなんてそんなの神業だよ。まず伝えきれないだろうね」
「...あなたは何を仰りたいのです?」
ここが、最初の核心だ。
「盗まれたのは...設計図だ」
また沈黙。
息苦しい沈黙が流れた。
「くっくっく...」
その沈黙を破ったのは、アドの予想以上に朗らかな笑い声だった。
「何かおかしい?」
平静を意識、平静を意識。
大丈夫、大丈夫。
「いえ...貴方ともあろう方が。やはりお疲れのようですね」
「...どういうこと?」
アドの目は勝ち誇っている。
「設計図が盗まれていることなど、あり得ないのです」
「なんでそう言い切れるの?」
「私がすでに確認済です。私も設計図が盗まれた場合も考えましたのでね」
「確認したのは、事件が発覚したあとってことだね」
「当然でしょう。それより前にどうして確認できましょうか」
...その言葉、忘れないでよ。
僕は、アドと対峙してから初めて心の中で笑みを浮かべた。
「じゃあ、ここでもう一度確認しよう」
「...?」
訝し気なアドを横目に、デスクの上にあった小型の球体に手をかざす。
この球体は開発室にあるそれとつながっていて、起動すればここから開発室にいる人と話ができるのだ。
少しして、球体に開発担当の一人が映った。
「アルさん?どうかしましたか?」
「お疲れ様。急で申し訳ないんだけど、ちょっと設計図のファイルを届けてほしいんだ」
「ファイル?はあ、構いませんけど。どれ持ってけばいいですか?」
「ありがとう。この間完成した試作品のがファイルされてるやつをお願い」
「わかりました。んじゃ今から行くんで少し待っててください」
水晶から映像が消える。
「社長、どういうおつもりで?」
さすがのアドも、少し不安そうな様子が見て取れる。
「どういうつもりも何も、もう一度確認するだけだよ。アドもいることだしね」
「...」
またそこで沈黙。
でも、僕にとってはさっきほど息苦しい沈黙ではなかった。
少ししたとき、ドアがノックされてさっきの開発担当者が入ってきた。
「お待たせしました。これ...でいいんすよね」
そういいながら脇に抱えていたファイルを差し出す。
「うん、大丈夫。アドに渡して」
「アドさんに?はあ、じゃこれ」
アドは警戒するような面持ちで、差し出されたファイルを受け取った。
そして僕の方を睨みつける。
「...あ、じゃあこれで失礼します」
僕らのただならぬ雰囲気を感じ取ったのか、開発担当はそそくさと出て行った。
「...社長。どういうおつもりです」
「最終確認だよ。一応僕は責任者だから、僕の前でちゃんともう一度確認してほしいんだ」
さあ、と急かされるままアドはファイルを開く。
僕はアドの手が該当の設計図を探すのを見つめていた。
パラパラとめくられていく設計図たち。
そして、ある一点で...アドの手は止まった。
「......」
ふーっと、アドが息を吐く。
ため息ともとれるその息は、ため息と表するにはあまりに棘を含んでいた。
「...あった?設計図」
白々しい僕の問いに、もはやアドは微笑むことすらしなかった。
パタン、とファイルが閉じられて、こっちが凍てつきそうなほど冷たい視線が僕に向けられる。
「やってくれますね」
「...」
設計図は、ない。当然だ。僕が隠したんだから。
これで僕が一歩リード...かな。
でも。
「...仕方ありません。露見してしまったのです、認めましょう。私は、"事件の後に設計図を確認していない"とね」
...やっぱり、わかってる。
そう、今のでわかることは「アドが事件発覚後に資料室に入って設計図を確認しなかったこと」だけなのだ。
大切なのは、ここから。
「貴方のおっしゃりたいことはわかっています。...私をお疑いなのでしょう?」
ついにアドが核心に踏み込んできた。
僕は何も言わずにゆっくりとうなずいた。
「私の怠惰は認めます。それを隠そうとしたことも。...ですが、それだけです」
当然、アドは否定する。
「それに、貴方にも怪しいところはおありでしょう?今ここで、わざわざ設計図が失われていることを私に見せたということは、貴方は、もとより設計図がないことを知っていたということ。見ようによっては、貴方が私に罪を被せるために工作したと思われても仕方ありませんが?」
的確に隙をついて、一気に巻き返してくる。
さすがはアドだ、油断も隙もない。
「...僕なら。僕が犯人なら」
探るように言葉を紡ぐ。
「僕が犯人なら、そもそもこの社で一番有能なアドに調査なんて頼まないよ。どんなことに気が付くかわかったもんじゃないからね」
「それは、恐縮ですね」
ちっとも恐縮ではなさそうにアドが答える。
「それに、僕が犯人なら試作品も設計図も盗んだままになんかしない。作った本人なんだから試作品は自分で新しく作るし、設計図なら新しく描くよ。そのほうが格段に気付かれにくいしね」
一瞬だけアドの目がまた細く鋭くなったのを僕は見逃さなかった。
その反応を手ごたえありとして、僕は続ける。
「それに、僕が犯人ならわざわざ試作品を隠してまで設計図を盗んだりしない。当然、流したいものと別のものなんか隠すわけがない」
「...」
「それは、僕以外の技術担当にも言えることだ。実際に開発に関わって徹夜であーでもないこーでもないって言いあってたんだから」
そうなのだ。
僕たち開発ならそもそも、盗む必要がないのだ。
だって、作れるし描けるから。
「...なるほど、それはその通りですね。失礼を」
アドがほほ笑んだ。
...まだ、余裕なのか...。
僕はさっきから背中を冷たい汗がつたってるのに。
「では、少々話を変えましょう」
「なに?」
「そもそも、貴方は設計図が盗まれたということを前提に話されています。ですが、その証拠は?疑わしいというだけでは試作品であることを完全に否定することはできません」
ぎり、と歯噛みする。
それを肯定ととったのか、アドは笑みを深めた。
「ふふ」
「...」
・・・・・・・。
僕は...。
「...どうして、アドはそこまで試作品にこだわるの?」
「...」
「答えられない?なら、当てるよ。...それがアドの絶対的な守りだからだ」
「......」
正直、僕は...心のどこかで...。
「保管庫は、出入りだけなら誰だってできるからね」
どこかで、アドが認めてくれるんじゃないかと期待していたのかもしれない。
いや、いっそ僕が間違っているんじゃないかって。
「資料室も出入りは自由だ。でも...設計図は違う」
...だけど、もうそんな甘い考えは...通用しない。
「設計図を持ち出せるのは、限られてる。僕や開発担当...それに」
アドは、僕らの技術を流出させた。
それはどうにもできないんだ。
僕にできるのは...アドに罪を認めさせて、更生してもらう。
...それだけだ。
「事務責任者のアドだけだ」
「...」
デスクの引き出しのなかを探る。
固い感触のものを押しのけて探ると、指先になめらかな感触がした。
...これが、僕の反撃だ。
「っ!」
僕が取り出したそれを見たとたん、アドが今までにないほど狼狽した。
宛名も書かれず、封もされていない、封筒。
アドの印だけが捺されている。
「...これ、見覚えあるでしょ」
中身は、紙が一枚。
引っ張り出してみれば...それは、設計図だった。
それも、最新のもの。
「設計図が封筒のなかにある。...もうその先は言わなくていいよね」
ぎり、と今度はアドが歯噛みする番だった。
「だけどこの設計図、ちょっと変なんだ」
僕が感じる違和感。
それは明確なものだった、
「この試作品の設計図、僕が描いたはずなんだけど。これ僕の描いたものじゃないんだ」
つまり、コピー。
だれかが、本物を見ながら描いたのであろう偽物。
「こんなの、僕は描いてないし描く意味もない。これを描く必要があるのは...設計図を描けない者だけだ」
「...」
「情報を流すには、試作品より当然設計図の方が手軽だ。でも本物の設計図を持ち出すのは証拠も残るし犯人が絞られる。だから...コピーを送ることにしたんだ。それで、本物の設計図は置いておいて試作品を隠せば、一見試作品が盗まれたように見えるからね」
言いながら設計図を封筒に戻す。
これは大事な証拠品、奪われでもしたらそれこそ訴えるレベルの大惨事だから。
「...し」
「?」
「しかし、それが私が入れたという確たる証拠はないでしょう?」
だいぶぐらついてきている。
...こんなアド、初めて見たな。
今日は知らないことばっかりだ。
「ここ見て」
封筒を裏返して一点を指さす。
そこには、アドの確認印が捺してあった。
この確認印は、アドの魔力を機械を通して捺すものなのだ。
誰かが代わりに捺した...なんて言い訳は通用しない。
それだけじゃない。
「アドはとても几帳面だ。社員が良く言ってるよ、いちいち中身と送付先を照らし合わせてから確認印を捺すなんて、ってね。いつもそんなだったんだから、うっかり確認してませんでした、なんて言い訳も苦しい」
「...」
無言のアドに、僕はデスクから立って歩み寄った。
反射的に下がりかけたアドの手を逃がさないとでもいうふうに握る。
...さっき肩に手を置かれたときに知ったけど、やっぱり冷たいな。
「ねえ、もう認めて。認めて、罪を償ってよ。僕は...」
「社長」
言い終わらないうちにざっくりと言葉を遮られ、同時に手が払われた。
何事かとアドを見上げる。
「あ、アド...?」
「貴方が提示したものは、確かに説得力はあります。ですが...決定的ではありません。私がその印を捺したのは実際に中身を確認しなかったからです。最近忙しくてね...少々横着してしまったのですよ」
「そんな、そんな言い訳」
「通用します。私がそのときも確認したかは証明できないでしょう」
「...っ」
なんてことだ。
僕の方が優勢だと思ったのに、気が付いたらひっくり返された。
まさか、こんなに食い下がられるなんて。
「...」
「それに一つ、大事なこともお忘れです。貴方は確かに設計図が流された有力な仮説の一つを提示しました。...しかし、これも決定的ではない。私を犯人にしたいのならば...もっと決定的な、言い逃れのできないものをお見せください」
僕は黙ってしまった。
アドはそんな僕を負けを認めたのだと思ったらしい。
すっとかがんで僕と目を合わせて微笑んできた。
「しかし、随分成長されました。ここまで情報を集めるとは。ですが、あと少し詰めが甘かったようですね」
そう言って、立ち上がると僕に背を向けて出で行こうとした。
―逃がさない―
アドの腕をがしっとつかんだ。
「まだなにか?」
その実僕が黙っていたのは...反論ができなかったからじゃない。僕は、脱帽していたのだ。カンナさんに。あの人は...カンナさんは、ここまで読んでいた。
ここまでやっても、食い下がられることを。
そのうえで、僕に。
僕に切り札を残してくれていたのだ。
「...盗まれたのは試作品じゃない」
「ですから、それは証拠が」
「あるんだ。これ以上ない、決定的なのが」
アドが振り返る。
僕はまたデスクの引き出しを探り出した。
指にこつんと当たった固いもの。
それをつかみ取った。
「なっ...!それは...!」
僕が取り出したもの、それは...。
なくなっていた、試作品。
「ほら。これは...動かしがたい証拠、でしょ?」
タグに書かれた番号。
それは、僕らが苦労して完成させた本物であることを如実に示していた。
「...、...!」
言葉に詰まった様子のアド。
「これでも試作品が奪われた、なんて言い逃れできる?」
とどめ、と言わんばかりに尋ねた。
ふう、とため息をついてアドが僕のデスクに寄り掛かった。
「まあ、いいでしょう。まだ言い訳のしようはいくらでもありますが...私に疑いの目が向いてここにいられなくなっては同じこと。...貴方の仰る通りです。情報漏洩の犯人は...私ですよ」
なんでもなさそうに罪を認めるアド。
なんで、そんな飄々としてるんだよ。
僕らを裏切ったんだぞ...先代がどれだけ...どれだけお前を信用していたと思ってるんだよ。
勝った嬉しさなんかよりも裏切られたことへの怒りが込み上げてきた。
「なんで...なんでそんなことしたんだよ...!」
「さあ、何故でしょうねえ。私にも分かりかねますね」
「ふざけるなよ!僕らを裏切っておきながら...!よくもそんな...!」
勢いあまってアドの胸倉を引っ掴む。
許せない、許せない、許せない...!!
「ギラギラと私を睨みつけるのは結構ですけれども。あまり気持ちを昂らせない方がよろしいかと思いますよ」
「うるさい!言え!言えよ!なんでそんなことした!」
「ああ、全く。忠告も聞いていただけないとは。貴方とこの会社を案じてのことだというのに」
「いけしゃあしゃあと...!」
「いえいえ、本当です。だから貴方をあれこれ世話を焼いていたのですから。私は貴方に死なれては困るのです。...先代のようにね」
硬直した。
どういうことだ...?
「貴方がこの社の社長である今...貴方に死なれては困るのですよ。アラステア」
ゾッとした。
胸倉をつかむ手が大きく震えた。
反射的に離れようとした手を逆に掴まれる。
「まあ、先代もあまり若くはなかったのですが...まさか死ぬとは予想外でした」
なんだって...?
「なに...したの...?」
「特に何もしていませんよ。少々お願いをしただけです」
「お願い...?」
「ええ」
―例の技術を教えてくれ。とね―
頭から血の気が引いた。
例の技術...そんなもの決まっている。
カンナさんに依頼した時から懸念はしていたが、まさか最初からそれが目当てだったなんて...。
「...それが狙いだったの...?」
「ええ、最初からね」
見た事ないほどギラギラとした目が僕を見てくる。
怖い。
逸らしたいのに、逸らせない。
なんだか吸い寄せられるように見てしまう。
「先代の時は会社の事を考えるあまり少々ことを急ぎすぎてしまいましてね。先代が身体を壊してしまったのですよ」
「嘘だ...」
「こんな嘘をついてどうしようというのです。しかし、あまりに頑固なものですから技術を教えなければアラステアの命はないと脅したら...まさか体調の優れない中貴方の修行を敢行するとはね。貴方を後継者にしてしまえば私が命を狙うことはないと考えたのでしょう」
さすがは先代、と笑う目の前の男は、本当に僕の知っているアドルファスなんだろうか。
だってアドは...アドは。
僕を誰よりも支えてくれて、助けてくれて。
どうしようもなくて泣きそうなときには傍にいてくれて。
修行がうまく行かなくて先代にどやされたときは延々と愚痴を聞いてくれた。
そんな優しい人のはずなのに。
この人はひょっとしたら偽物なんじゃないかな、なんてくだらない考えに逃げようとして。
「まあ、先代の失敗を生かしまして。貴方のときは信頼を得てスムーズにいくようにしたのですよ。貴方のくだらない悩みを真摯に聞いて差し上げたのもそのためです」
それを見越したように僕の思考の逃げ道を叩き潰してくる。
「.........」
「未熟で知見も浅い青二才に取り入るなどわけないこと。少し同情するそぶりを見せれば簡単に信用する。実際うまく行っていました」
全部、嘘だったのか。
僕を気遣ってくれるような言葉も、激励も。
「しかし...まさか私の偽装工作に気付いてその上に罠まで仕掛けてくるとは...少々あなたを見くびっていたようです」
「...気付いてたの」
「あれだけ私を追い詰めておいて、気付いていないと思うほうがおかしいでしょう。...まんまとハメられました。お見事です」
僕の手をつかんだままニコニコとするアドに、もはや恐怖しか抱かなかった。
これまでずっと僕らを欺いてきて、悪事が露見してもこの笑顔だ。
なにが...何がしたいんだよ。
震えそうになるのを無理に抑える。
「アド。罪を認めたのならきちんと償ってよ。ちゃんと悔い改めて...それで...」
「ほう、それで?悔い改めて償って...どうしろというのです?またここに迎えてくれるのですか?」
「...っ!」
迎え入れるわけがない。
一度裏切った者とまた働くなんて...認められるはずがない。
僕の顔を見てアドは鼻で笑った。
「ほら御覧なさい。貴方もおわかりでしょう。...さて」
急にアドが握る力を強めた。
不意打ちで腕に走る激痛に思わずかをゆがめた。
「本当は取り入って聞き出すつもりだったのですが、こうなってしまっては手段は選んでいられません。...私といらっしゃい」
「え...?うわっ!」
グイッと引かれて思わず態勢が崩れかけたのを、必死で踏ん張って耐えた。
「何を...!放せ、放せって...!」
「あまり暴れないほうがよろしいかと。腕に痕が残ってしまいますよ」
ギリギリと僕の腕を握っているくせにそんなことを言う。
正直アドが何を考えているのか全くわからない。
わからない、わからないけど...今ここでこいつに連れていかれたら...まず間違いなく無事では済まない。
本能でそう察知した僕は、必死で踏ん張って抵抗した。
「全く...聞き分けのない子どもの相手は面倒ですね」
そうため息をつきながら、アドは僕を指さしてきた。...ように見えた。
実際には指をさしているのではなく、握った何かを僕に向けていたのだ。
それには小さな穴が開いている。
それがなんなのか頭が回答を弾き出した瞬間、僕は息ができなくなった。
はくはくと口を動かしても酸素はほとんど入ってこない。
入ってきても肺にまで届かない。
開いた口からは、声にならなかったいわば「声のなり損ない」が漏れる。
僕に向けられていたのは...最近になって流行りだした護身用の魔具だった。
別途の弾や自らの魔力をこめてそれを勢いよく撃ち出す。
その威力故に殺傷能力が高く、売り出されてからはそれによる事件が絶えないと聞く。
「お伝えしたはずです。手段は選んでいられない...と。時間も残されていませんし...あまり気は進みませんが、おとなしく従っていただけないというならば...」
かちゃり、という音に全身の毛が逆立った。
「う...」
意図せず身体が震えだす。
理性的な思考ができなくなる。
死にたくない。
死にたくない。
死にたくない。
「おとなしくいらしてくだされば何もしません。さあ、いらっしゃい。痛い思いをするのは嫌でしょう?」
アドの声もなんだか遥か彼方から聞こえて来るみたいだ。
そうだよ。
おとなしくしてれば...おとなしくしてれば危害は加えないって。
またグイっと手を引かれる。
今度は抵抗しなかった。
引きずられるようにアドについていった。
「ふふ。それで良いのです。下手に意地を張って痛い思いをするよりそちらの方が合理的ですからね」
降ってくる声を半ばBGMのように聞きながら、社内を通っていく。
これで、これでいい。
命が大事だ、僕の命が先決だ。
生きてれば...どうにだって...。
そう思って、僕は思考を放棄しかけた――――――。
「アラステア。この技術は人を助けるためにある。しかし、使い方を誤れば大惨事を引き起こしかねない魔の技術でもあるんだ」
―先代...―
「魔の...技術?」
「この技術が門外不出たる所以だ。そして...これを継いだものは、その秘密とともに守っていかねばならん。それができるものにのみ...この技術は受け継がれる」
「...でも、僕に...守り切れるのでしょうか」
「最初は俺も同じことを思ったさ。そんな俺に、俺の師匠はこう言ったんだ。―守れなくなったなら、死ね―ってな」
「死ッ...!?」
「こいつが悪用されれば...多くの人が傷つくことになる。そんなことになるくらいなら、そんなもんはいらねえってことさ。だからな、アラステア。もしも、もしもこの技術をもうどうしても守れなくなったら...その時はこいつが消えるべき時だ」
「...」
「お前は、これを背負えるだけのもんがある。俺はそう確信してる。だが無理強いはしねえ。こいつは背負ったら...死ぬまで下ろせねえ重荷だ。下手したらこいつのために命を張らないといけなくなるかもしれん。だから、聞く。お前は、これを継ぐ気があるか?」
―ああ、そうでしたね...先代―
―僕は、全部承知の上で継いだんですよね―
「...そうか。その言葉に偽りはないな。なら俺はお前にすべてを伝える。あとは...お前の好きにしろ。だが、これだけは忘れるなよ」
―後継者は...これを闇に葬る責任もある―
そうだった。
僕は、すべて聞かされたうえで先代から選択肢を与えられて...そして、後継者となることを決めた。
なら、僕がやるべきことは...!
外は真っ暗で、もう人通りもほとんどない。
掴まれていない方の手で何かないか探った。
すると、懐に固い感触があった。
さっき、アドと問答するときに無意識に懐にしまっていたサイン用のペン。
迷っている暇はない。
僕は口を使ってでふたを取り、思い切り僕を掴んでいる手に突き立てた。
「ぐ...ッ!?」
アドは静かになっていた僕からそんな攻撃が来るなんて思っていなかったらしい。
痛みで掴まれていた手が離れた。
「ッ...馬鹿なことを...!」
アドがひるんでいる間に距離を取る。
「無駄な足掻きとは、どこまでも餓鬼ですね。格好つけた英雄のおつもりですか?小賢しい。そちらがそのつもりならば、こちらも容赦はしませんよ」
ちゃき、と魔具を向けてくるアド。
正直、やっぱり怖いものは怖い。
でも、僕が選んだのはそういう道だ。
「アドルファス。お前は知らないよな」
「...」
「僕たち後継者は、技術を継ぐ際にひとつの教えを受けるんだ」
「はっ。極秘にしろということでしょう」
吐き捨てるように言うアドを、まっすぐに見つめる。
さっきみたいに。
「それだけじゃない。...僕たち後継者は、技術を守れなくなったら...それを闇に葬る義務も課せられてるんだ」
「それがなにか...!?」
アドの顔色が一気に変わった。
気付いたみたいだね。
「技術を消すのは簡単だ。知っているものが、消えればいい」
言いながら、さっきアドの手を刺したペンを自分の首筋にあてがった。
「何を...!」
「お前は僕に死なれては困るんだろう?だからお前は僕を殺せない。やれても手足だ。僕は...お前が何かしようというそぶりを見せたら迷いなくこいつを自分の首に突き刺す」
僕らの間に沈黙が流れた。
互いに、相手の動きを予測して、どう動くか考えているのだ。
この永遠ともとれるような探り合いを終わらせるのは、僕かアドか。
どっちにしたって僕はただじゃあ済まないな。
なんて、こんな緊迫したときに呑気に考えていた。そして、アドもまったく予想もしていなかった形で、その時は訪れた。
「...え?」
何が起きたかわからなかった。
突然、アドが仰向けに倒れたのだ。
いや、たたきつけられたというべきだろうか。
急に腕を振り上げたかと思うと、そのまま地面に勢いよくたたきつけられたのだ。
突然の情報量に呆然としていたところに、聞き覚えのある声がした。
「...何を呆けている」
この声は、間違いない。
「...」
スッと現れた長い長い銀髪。
片目の隠れた鋭い目。
一文字に結ばれた口。
僕は、まとまらない頭で、ただ名前を呼んだ。
「カンナさん」