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side斎希
「そんなことが…」
「ええ…。今はまず双葉を休ませようということになって、今夜あたり刹那から話があるそうよ」
私の話を聞いた捺波は、この上なく心配そうな顔をしていた。
「…その話、ワタシも…聞いても?」
「え?ええ、それはもちろんいいと思うけれど。でも、無理は…」
「双葉が大変なら…ワタシも力に。大したこと、できなくても…少しでも」
この子も、よくわからないところはあれど根本は仲間思いで優しい子なのだ。
「…ありがとう、捺波。…さて、私は少し部屋に戻るわね。あなたはどうする?」
「ワタシは、もう少しここに」
「わかったわ。…じゃあ、またあとで」
捺波と別れて、自室へと向かう途中。ふと燿の部屋の方から何か音がしてきた。ゆったりとした心落ち着くメロディー。ヒーリングミュージックというやつかしら。
燿に関しては色々と疑問がある。特に…あの右手に関して。それに、普段の双葉にたいしての態度も、少し気になっていた。過保護と行ってしまえば簡単ではあるが、あれは過保護というよりも執着だ。彼女を「守る」ということに対する執着。なにか、あるのかもしれない。…思わず人を手にかけてしまうほどの、なにかが。
そう思ったら、思わず燿の部屋の扉をノックしていた。
「…燿」
声をかけると、中から聞こえていた音楽が止まる。どうやら中には居るらしい。
「入っても、いいかしら」
中から返事はない。だが、来るなとも言われていないので、そっと扉をあけてみた。なかは薄暗く、明るいところにいたためか見づらい。
「電気くらい付けたらいいのに」
暗順応を待つまでもなく、壁を辿って電灯のスイッチを探して押す。ぱっと灯りが付くと、燿はベッドに腰掛けて俯いていた。無言でその隣に腰を下ろす。
「…」
「…」
お互いに何も話さない。距離をはかりかねているのか、お互い探っているのか。まあどちらともいえるのだけど。恐らく、燿も私に言いたいことがあるのだろう。
私たち二人に限らず、この組織の人間は自分の事は語りたがらないし、その分人にも聞かない。筆頭は刹那や神流、捺波だけれど、私と燿も例外じゃない。一緒にいるうえでそんなこと知らなくても支障はないし、語りたくないことを無理に話させる方がリスクがある。
「…わざわざ部屋にまで来て、話したいことでもあんの?」
その沈黙を破ったのは、燿の方だった。
「さあ…でもそれは、あなたも同じでしょう」
「はっ。…さーな」
そして再び沈黙。今度は私が口を開いた。
「…少しは休めた?」
「部屋に来てから20分でどうやって休めと」
正論だ。私たちが戻ってきてから私が捺波に話をしていた時間はどんなに長く見積もってもそれくらい。そんな時間で、しかも部屋に押しかけている身で休めた?などと聞くのはお門違いも甚だしい。
「…そうね。今のは私が悪かったわ。邪魔なら、出ていく」
「いやいい。…一人でいると気が滅入ってくる…」
燿はこめかみを押さえて呻くようにつぶやいた。
「…そう、ね。だから、私もここにきたのかもしれない」
一人でいるとただただ考えがめぐっていくものだ。この状況下でめぐる考えなど、生産性の欠片もないであろう無為なもの。それに振り回されるくらいなら、誰かと共にいた方がどれほどましだろうか。
「…斎希」
ふと、燿が顔を上げて私の方を見た。
「なにかしら」
「まだ…言ってなかったわ。…あのとき、私を止めてくれて…ありがと」
あのとき…間違いなく、燿があの双葉を襲った男を殺めかけたときの話だ。
「いいのよ。さっきも言ったでしょう。仲間が道を外れそうになったら引き戻す。それも仲間としての役割だって」
「…」
綺麗な金髪の間から、双葉のそれよりも明るい金色交じりの茶色い瞳がじっとこちらを見つめているのがわかる。
「あんとき、お前…私の右手を鞘のままで受け止めたよな。…あれ、なんでだ?」
「あら。だって…抜き身で受け止めたりしたら、あなたを傷つけてしまう可能性があるでしょう。いくら指先が鋭利になっているからといって、手のひらまで頑丈になってるとは限らないもの。そんなリスクは冒せないわ」
「でも私はあんとき人を殺ろうとしてたんだぞ」
「それとこれとにいったい何の関係があるというの?あなたが何をしようとしていたにせよ、あなたは私の大切な仲間。それを傷つけないようにするのは当然よ」
燿の目をまっすぐに見つめて答える。なにも繕っていない、私の思いなのだ。伝わってもらわなくては困る。燿は軽く目を伏せるとため息をついた。
「…お人よしなのか、なんなのか」
「なんとでも」
「…」
そう、私はもう失いたくない。大切な人を、仲間を。あんな喪失感は二度と味わいたくないのだ。そして…あんな感覚を私の大切な人に味わわせたくもない。
これも…一つの執着なのかもしれないわね。
そうして私たちは、ただ寄り添って座ったまま黙っていた。また少しの沈黙の末に、燿がぼそりと呟いた。
「…妹が、いたんだ」
「燿?」
すぐに、ここに来る前のこと…つまり、燿の過去のことだとわかった。燿は、滔々と語っていく。
「…母子家庭だったんだよ。親父のことは覚えてない。…物心ついたときからお袋と妹の三人だった。女手一つで子ども二人は大変だっただろうと思うよ。結局お袋は身体壊して寝込んじまって…そのままぽっくり逝っちまった」
「お母様が…」
子どもを二人抱えての母子家庭。その苦労がどれほどのものだったのか、私にはわからない。
「そんときは、私が高校生で妹が中学に入る前だったよ。だから…私が稼ぎ頭になるしかなかった。…つっても、最初はバイトするくらいしかできなかったんだけどね。それで日々の食費を稼ぐのが精いっぱいで。妹はギリ義務教育だから学費とかはいらなかったし、親がいないってことで国からの助成金とかはあったけど…それだけじゃやってけないもんなんだなって思い知らされたね。支出と歳入をガチで管理しないといつもぎりぎりだったから」
「高校生で…」
燿の金銭管理癖は、その経験から来ていたのか。普段あれこれ言いながら電卓をたたく燿の姿と、家族を守るために毎日帳簿をつけていたであろう高校生の燿の姿が重なった。高校生で家族を養わなくてはならなくなるということがどのようなものなのかも、私にはわからない。燿はきっと私よりも多くのものを見てきたのだろう。これほど一緒にいたというのに、なんだか全く知らない人間と話しているような錯覚を覚えた。
「そんなときさ、張り紙があって。マラソン大会の張り紙。参加は自由で…もし一位になったら賞金がでる。昔っから足にはまあまあ自信があったし、ダメでもともとってね」
「…それで」
「そ。出てみたら一等賞よ。それで賞金もせしめることができたってわけ」
「あなたには実力があったのね」
「さあね、どうかな。まあそんなこんなで、副業的にそういう賞金付きの大会みたいなのに出るようになってさ。やーだいぶ賞金ドロボーやらせてもらったよ。いい稼ぎ場だったねありゃ。バイトなんかやってんのがバカらしくなるくらいにね」
普通大した訓練もなしにそんなに賞金を手にできるはずがない。それができたということは、それだけ燿に実力があったということだろうに。不遜な態度をとるように見えて、その実とてもストイックで謙虚なのだ、この人は。
「…まあ、そうやって荒稼ぎしてたらなんか陸上選手の育成学校的なとこのお偉いさんから声かけられてさ。家族のこととかもあるし最初は断ったんだけど結局そっち行くことにして。特待生的ななんかでトレーニング代とかその他諸々は全額向こう持ちだってんだから、まあ悪い話じゃねーかって思ってさ。結構すぐにレースにも出られるようになって、スポンサーとかもなんかついて。高給取りってわけじゃないけど少しずつ生活には余裕が出てくるようになったんだ」
「しっかり家族を支えているじゃないの」
「…」
「燿?」
「…支え、切れなかったんだ。私は妹を守れなかった」
思わず燿の顔を覗き込んだ。燿の目は、ここでないどこかを見ているようで、心ここにあらずと言った風だった。
「妹さん…何かあったの…?」
「…いじめ、られてたんだよ、中学に上がった時から…。それを、あいつは…私に心配かけないようにってずっと黙ってて…」
「いじめ…」
「あの日…トレーニングしてるときだった。電話が鳴って…でたら、病院からだった。…妹が怪我して担ぎ込まれたって言われて。血の気が引いたよ、マジで。それでトレーニングなんざほっぽりだしてすっ飛んでったら…あいつ、頭を打って昏睡状態だって言われて…いつ目が覚めるかわからないって…」
燿の声が震えている。胸の奥がズキズキと痛むような感覚がした。
「…つき飛ばされた拍子に、階段から転げ落ちたんだとさ。そん時初めて知ったんだよ。…あいつが、いじめられてたってことを。…一周回って笑っちゃったね。私はあいつのことを…なんにも見ていなかったんだなってさ」
「燿…」
「…私は、守れなかったんだ。たったひとりの家族を。誰よりも大切だったあいつを」
ぎり、と歯ぎしりする音がした。家族を守れなかった悔しさ。大切な人を失うあの喪失感を、燿はすでに知っていた。そして、それは今もなお彼女の心を鎖のように締め付けている。
「そのあとは…あいつの入院費を稼がないとと思って無茶苦茶やったね。昼はトレーニング夜はバイト。いつ寝てたかなんて覚えてないくらいだよ」
「そんな生活、長くはもたないでしょうに…」
「ご明察。しばらくして、私もぶっ倒れた。理由は過労。知ってた、って感じだわな。当然そんな状況じゃ走れないから出場予定のレースやらなんやら諸々パー。スポンサー契約とかもなくなってあんときはもう駄目だと思ったよ」
「…」
「そんとき、刹那に声をかけられて。なんかよくわかんないけど、あいつは私の目の前で札束だしてさ、自分が妹の治療費を全額肩代わりすることを条件にこの組織に誘ってきた。マジで怪しくて危ない奴だと思ったけど…藁にもすがる思いで了承した。妹が助かるなら…私はそれでよかった。事実刹那はしっかり治療費を出してくれて、妹は意識が戻って。あいつには、刹那を通して私は遠くに出稼ぎに出てるってなふうに伝えてもらってさ、今こうしてここにいるってわけよ」
「そう、だったの」
「…初めて、ここの組織の連中と会ったときは、刹那がメンバー探しの途中で、まだ十六夜と双葉しかいなくて。そんとき、まああの二人と話したんだけど。双葉と話したとき、どうしても…妹と重なっちゃって。年も同じくらいだったし…無邪気で明るくて。そのときに、この子は守ろうって思った。自分でも、これは私の身勝手で押しつけがましくて醜い自己満足だってことはわかってた。…それでも、守りたかった」
燿の双葉への過保護っぷりは、妹さんを守り切れなかったことへの罪悪感の表れだったのか。燿は、双葉を通して自分の妹さんを見ていた。そして、それを彼女自身もわかっていたのだ。
「…まあ、結局また守れなかったけどね」
「…」
「双葉のあの表情を見た時、背筋が寒くなった。病院のベッドで妹が青い顔して寝ているのを見た時と…おんなじ感覚。…今でこそ、守れなかったことへのあれこれとか名前をつけられるんだろうけど…あれはそんなもんじゃない。…語彙力ないから言語化できないけどさ」
燿は薄く笑ってぼすんとベッドに寝転がった。私もつられて体を横たえる。なんだか急に身体から力が抜けていくような気がした。
「…疲れたな」
「…そうね」
燿は閉じていた目をあけ、呆れたような視線を向けてきた。
「ふっ…一緒に寝る気かよ?」
確かにこの状態は、いわゆる添い寝の状態だ。いい年をした大人がすることではないけれど、正直誰かと一緒にいたかった。そして、今最適な人選は燿だ。
「…邪魔ならお暇するけれど」
「ハイハイ、お好きなよーに」
燿も拒まない。結局、彼女も誰かと一緒にいたいのだ。そしてそれをお互いわかっている。
二人で意味もなく笑うと、そのまま目を閉じ、眠りに落ちた。
こんこん、とノックされる音で目を覚ました。見れば、燿も同じタイミングで起きたらしい。
「燿?いる?」
外から十六夜の声がする。
「んー...どーした、十六夜...」
まだ寝惚けているらしい燿がふらふらしながら扉を開ける。
「燿。...ああ、斎希もいたんだ。ちょうどよかった、刹那が...話があるって」
「...!」
一瞬にして眠気が吹き飛ぶ。
「わかったわ、すぐに行く」
「十六夜、双葉は...!」
燿の問いに、十六夜は一瞬顔を曇らせた。なんだか嫌な予感がする。
「...とにかく下に。そこで全部話すから」
十六夜の言葉に、私と燿は顔を見合わせた。
広間には、既に捺波と刹那が集まってソファに座っていた。十六夜も腰を下ろしたので、私も倣って捺波の隣に座る。燿は、十六夜が座ったソファのひじ掛けにもたれるようにして立っていた。徐に刹那が立ち上がり、私たちの前に出てきた。
「十六夜、ありがとうございました。皆さん、お揃いですね」
誰も言葉を発することなく、刹那の顔を見つめている。正直、聞きたいことはたくさんある。が、何から聞けばいいのかがわからないのだ。
「まずは単刀直入にお伝えしましょう。双葉のあの状況は...彼女の過去のトラウマに起因するものです」
トラウマ...。双葉にも、なにか辛い過去があるのかしら...。
「正直、私も詳細はわかりません。情報量が少なく、かなり意図的に隠されているようでして」
「おい、隠されてるって...なんかの事件だったってことか...?」
燿の言葉に、刹那は少しの間をおいて頷いた。
「彼女が巻き込まれたのは...強盗殺人事件、です」