6

一晩明けて、出立の時間となった。
刀は夕べのうちに既に研いである。
身支度を整え、オーウェンさんに連れられて外に出ると、既にレオーネさんが待っていた。
側には豪華な馬車が待たされている。
今日はよそ行きのコートに帽子をかぶっている。
そして、荷物は小さめのバッグを持っていた。
それほどきらびやかではないが、きっとこのコートや帽子も私たちの考える値段とは0の数が二つ以上違うのだろう。
「おはようございます、イツキさん。今日は...よろしくお願いします」
「ええ、こちらこそ」
レオーネさんの顔は昨日にまして血の気がない。
こんな状態で隣国に行くなんて、道中で倒れたりしないだろうかとまで考えてしまう。
オーウェンさんは御者と少し話をすると、私とレオーネさんの方に近付いてきた。
「この国を出る関所までは馬車でお送りします」
「関所...ですか?」
思わず聞き返す。
「ええ。できることならば隣国までお送りしたいところなのですが...馬車は大きく小回りもききにくい。さらに音で気付かれるという魔物どもにとっては格好の獲物です。襲われるとわかっていて乗っていくわけにはいきません」
淡々と説明するオーウェンさんの横で、うつむきがちなレオーネさん。
「以前は連絡用の馬車なども出ておりましたが、最近は魔物を危惧して閉じられています。それ故に関所の先は歩く他ございません。距離としては長くはありませんが、途中森を抜けねばならないのです」
なるほど...ずいぶん危ういときに隣国行きの予定が入ったのね、レオーネさん。
「隣国に入ることができれば、魔物の心配はございません。...安全、と言えましょう」
本番を目の前にして緊張する。
私一人で、この国の有力な貿易商のご令嬢をお守りするのだ。
気持ちを落ち着かせるように息を吐き出す。
「わかりました。レオーネ様は命に代えてお守りしましょう」
ちら、とオーウェンさんがこちらを見る。
大丈夫、わかっているから。
その意を込めてうなずく。
「さあ、馬車に。そろそろ夜が明けます」
言われた通り私とレオーネさんは馬車に乗り込む。
「お二人とも...ご無事で」
そう言ったオーウェンさんが扉を閉め、少しすると馬のいななきが聞こえて馬車が動き出した。
馬車に乗るのは初めてだ。
「............」
レオーネさんは物憂げに窓から外を眺めている。
不用意に声をかけるのもどうかと思ったので、私も黙っていたが、やはり気まずいものがある。
黙って馬車の揺れに身を任せているが、馬車は思っていたよりも揺れるもののようだ。
時折大きく揺れて座っているのにバランスを崩しそうになった。
「っ!」
「大丈夫ですか?」
危うく椅子から落ちそうになった私に、レオーネさんが声をかけてくる。
「え、ええ。ごめんなさい、ありがとうございます。馬車というものに不慣れで...」
「そうですか。確かに慣れていないとこの揺れは少し大変かもしれませんね」
とだけ言うと、またふっと外を見やる。
「............」
座り直した私は、レオーネさんの横顔を見つめた。
自分と大して歳の変わらない女の子が、一貿易商として父の残した仕事をやっていく。
それがどんなことかなんて私にはわからない。
私にできるのは彼女を脅威から守ること。
失敗はできない。
一人静かに気合いを入れ直していると、馬車の速度が急に落ちた。
慣性の法則に耐えきれずまた椅子から落ちそうになる私の上でレオーネさんが呟いた。
「...着いたようですね」
「そのようですね」
何食わぬ顔をして椅子に戻る。
馬車はゆっくり動いていたが、少しすると完全に止まった。
御者が扉を開ける。
「お嬢様」
レオーネさんが降りるときに、御者が自然に手を出してレオーネさんがそこに手を乗せたのは、なんだかさすがといった感じだ。
私は一人で普通に降りた。
「あそこが関所です。あそこを通れば国を出られます。どうかお気をつけて」
御者が指差す方向には、いかにもといった風な大きな門と衛兵が立っている。
門の外には大きな橋がかかっており、どうやら跳ね橋になっているようだ。
どこをとっても、まさにファンタジーといった感じだ。
「ありがとう。...さあ、行きましょう。イツキさん」
「はい」
レオーネさんが歩きだし、私もあとに続く。
関所に近付くと、門のそばに立っている衛兵が持っている槍で門をふさいだ。
「待たれよ、ご婦人方。この先は魔物の跋扈する森へと続く平原。魔物の出現が増えている今、許可なきものを容易に外に出すわけにはいきませぬ」
レオーネさんは無言で懐から巻かれた紙、おそらく羊皮紙を取り出した。
紙を止めていたリボンをとき、衛兵に見せる。
そこには、なにやら光り輝く文字が浮かんでおり、最後には印のようなものが大きく捺されていた。
それを見た衛兵の表情が変わる。
羊皮紙を見せながら、レオーネさんは凛とした声で言った。
「わたくしはグラキエース家当主レオーネ・アルム・グラキエース。商談のため隣国フォルセハートに向かいたく思います。我らがセヴィオ国王の許可ならばここに。そこをお通しなさい」
私は思わずレオーネさんを凝視した。
今までの儚い雰囲気はなんだったのかと思うほどに堂々とした立ち居振る舞いだ。
衛兵はしばらく羊皮紙を見つめ、すっと槍をどかす。
「無礼をお詫び致します、グラキエース殿。確かにこれは我らが王セヴィオの書簡に間違いない」
レオーネさんはその言葉を聞くと羊皮紙をもとのように巻いてしまいこみ、衛兵の横を通りすぎようとした。
すると衛兵が呼び止める。
「しかし、やはりご婦人二人で外に出るのは危険すぎる。少なくとも護衛がいなくては...」
私が護衛なのだと言おうかとも思ったが。
「ご心配には及びません。こちらはイツキさん。わたくしの護衛です」
先にレオーネさんに紹介されてしまった。
「なんと...このご婦人が」
衛兵はまた驚いたように私を見る。
そしてすっとわきに寄った。
「どうぞお通りください。どうかお気をつけて」
レオーネさんはさっさと門をくぐって橋を渡ってしまい、慌ててあとを追う。
目の前には広大な平原。
奥の方には鬱蒼とした森も見えた。
いよいよ、ね。
「...」
草原に足を踏み入れたところで、レオーネさんが立ち止まる。
見れば、顔はまたいつもの血の気のないものに戻っている。
いったいどちらが本当の顔なのだろうか。
「レオーネ様。目的地へはどのくらいですか?」
「三時間ほどです」
オーウェンさんの言った通り、距離そのものは思っていたよりも大したことないらしい。
鬼門は、森か。
おそらくここからうっすらと見える森だろう。
気を引きしめなければ。
「...行きましょう、イツキさん」
そしていよいよ護衛任務の本番が始まった。
平原を進んでいる間も、あちらこちらに魔物はいた。
私たちが知っているものに近い姿のもの、逆に見たこともないもの。
警戒を怠ることはなかったが、私たちを見ると魔物の方が逃げていった。
少し拍子抜けしてしまった。
てっきりもっと襲いかかってくるものと思っていたのに。
「平原にいる魔物たちにそれほど狂暴なものはいません」
レオーネさんが足元に寄ってきた二本角のウサギをさっと追い払いながら言った。
追い払われたウサギはまさに脱兎のごとく逃げていく。
「そう...ですか」
警戒のため常に刀に添えていた手を下ろす。
「平原にいるのは基本的には弱く臆病なものばかりです。見晴らしのいい場所にいることで早く外敵の発見ができるので...」
「なるほど」
確かに、このあたりにいる魔物は小型のものばかりだ。
そしてどうやら草食らしい。
...たまに巨大なアリがいるけど。
虫が嫌いだったら卒倒しそう。
「とはいえ、臆病でも身を守るために襲ってくることはありますから、気を抜かずに行きましょう」
「ええ、そうですね」
レオーネさんの少し後ろに付いて、定期的に後ろも確認しながら進んだ。
平原は見た目よりもずっと広大だった。
後ろを見れば、出てきた国の城壁がまだまだ大きく見える。
以前は連絡用の馬車が出ていたというが、名家のご令嬢であるレオーネさんは使っていたのだろうか。
「レオーネ様」
「なんでしょうか」
「以前は連絡用の馬車が出ていたとお聞きしましたが...レオーネ様はご利用になられていたのですか?」
レオーネさんはこちらを見ずに答える。
「...国の関所まで送ってくれた馬車、あれは我が家専属の馬車です。国の外がまだ安全だったときは彼に」
お抱えの馬車があるとは、やはり貴族だな。
ただ、商談とはいえ危険を冒して歩いてまで国を出るとは...よほど大切なのだろうか。
それ以来、私もレオーネさんも言葉を交わすことなく歩き続けた。
無理して話し続けるよりも、そのほうがいいと思ったからだ。
レオーネさん、話しかければ答えてくれるのだが、少し話すとすぐ黙ってしまう。
おそらく、国にたどり着いた後のことを考えているのだろう。
邪魔をするのも、野暮だ。
そのあたりにいるウサギの魔物を眺めながらレオーネさんのあとをついていく。
あのウサギの魔物、なんか可愛いのよね。
意外と目がつぶらで。 
愛玩用になったりしないのかしら。
あの呉服屋の売り子さんの話だと、この世界で魔物を飼うのってそれほどおかしいことではなさそうだし。
「きゃぁあ!」
「っ!?」
突然レオーネさんが悲鳴をあげた。
慌てて駆け寄ると、なにやら腕に糸が巻き付いている。
「レオーネ様!」
レオーネさんに巻き付いた糸は数メートル先の草むらから伸びていた。
その先にいたのは蜘蛛。
それも私たちが想像する蜘蛛なんて大きさじゃない。
小型犬ほどはあるだろう。
虫嫌いだったら死ぬかもしれない。
8つの目が、明らかにこちらを見ていた。
私は背筋を走る寒気に耐え、レオーネさんに巻き付いた糸に刀をあてて切る。
糸がよほど張っていたのか、レオーネさんは糸が切れた拍子に尻餅をついた。
動けない彼女を守るように前に立ち、刀を構える。
どう来るか。
蜘蛛はこちらを見つめた後、再度糸を吐いてきた。
飛んでくる糸を難なく避ける。
どうやら向こうから近付くつもりはないらしい。
ならば、こちらから仕掛けよう。
蜘蛛の動きに意識を集中させ、地を蹴る。
蜘蛛は次々に糸を吐いてくる。
ただ、狙いはそれほど精密ではないらしく避けるのに苦労はしなかった。
刀が届く距離まで駆け寄ると、蜘蛛の直上へと飛び上がる。
そのまま私の体重に落下速度を加えて胸に当たる部分に刀を突き立てた。
蜘蛛は逃れんとわしゃわしゃ動くが、深々と突き刺さった刀に阻まれる。
次第に動きが鈍くなってきたところを、刀を無理やり横に切り抜いた。
切られたところから体液らしきものが飛び散る。
蜘蛛はわさわさ動いていたものの、すぐに動かなくなった。
...なんとか、やった。
刀が汚れてしまった。
後で拭いて研がなければ。
「イツキさん!」
名を呼ばれて振り返ると、レオーネさんが心配そうに駆け寄ってきた。
「大丈夫ですか!?お怪我は...!」
「大丈夫です。私は何ともありません。...それより」
私は刀をしまって頭を下げる。
「あの魔物に気付けなかったこと...申し訳ありませんでした。護衛ともありながら...」
「そんな...、むしろわたくしがお礼を言わなければならないのに」
レオーネさんはちらっと息絶えた蜘蛛を見る。
「あれはアラウネ。...草むらなどに潜み、獲物が近付いてくるのを待ちます。そして、無防備な獲物が近付くと先ほどのように糸を巻き付け捕らえるのです」
「アラウネ...」
市場で聞いた名前だ。
これが...アラウネか。
「非常に貪欲な性格で...大きなキャラバンがたった数匹のアラウネによって壊滅したこともあります。...糸がとても丈夫ですので、衣類や魔装のベースに使われたりもしますけれど」
「...着物にも使われるのですか?」
え?とレオーネさんの目が丸くなる。
少し考えてから私の方を見て首をかしげた。
「使われないことはありませんが...どうしてです?」
「いえ、昨日立ち寄った反物の店で...魔物が出す糸を紡ぐ...と聞いたものですから」
レオーネさんはさらに考え込んでいたが、ふとなにか思い付いたらしくぽんと手を叩いた。
「ひょっとしてセルイーシのことですか?」
「ええ、確かその名だったかと」
私がうなずくと、レオーネさんは少し笑った。
「アラウネの糸とセルイーシは別物ですよ。セルイーシはニーマという魔物の糸です」
「...そうですか」
少し安心した。
もしセルイーシのもとの糸がアラウネのものだったら、私多分ここの着物一生着れそうになかったから。
「アラウネと違って、ニーマはとても大人しくて可愛らしい魔物ですよ。糸をとる目的以外にも愛玩用に飼われてもいますから」
となると、いったいどんな魔物なのかしら。
蜘蛛型でなくて、糸を吐く。
糸...繭...。
.............................................。
やめましょう、嫌な予感がしてきたわ。
嫌な予感を頭の隅に追いやる。
「行きましょう、イツキさん。別の魔物が寄ってくる前に」
「ええ、そうですね」
また並んで歩き出す。
今度は、少し後ろではなく隣に。
「あの、イツキさん」
突然レオーネさんが話しかけてきた。
「なんでしょうか?」
「...雇っておいて、大変失礼なのですけれど...イツキさん、お強いのですね」
これぞ唐突。
先ほどのアラウネとの戦いのことを言っているのだろうが...。
「強い...ですか?」
「ええ。...アラウネとはいえ、魔物をたった一人で倒すなんて...」
「もったいないお言葉。ありがとうございます」
「...わたくしにもあなたのような強さと勇気があったらいいのですけれど」
褒められているようなので、素直にお礼を言った。
ただ、先ほどの戦闘を見て初めてそう思ったのなら、レオーネさんは私をそれほど信用していなかったことになる。
少し...複雑だ。
「フォルセハートまであと半分です。...イツキさん、よろしくお願いします」
「ええ、もちろん」
気がつけば、うっすらとしか見えていなかった森がもうかなりはっきりと見えていた。
鬱蒼とした木々。
確かに...例え昼でも入りたいタイプの森ではない。
森林浴できないかとも思ったが、どうやら無理そうだ。
「レオーネ様、あの森にはどこから入るのです?」
「もう少し先に入り口があります。そこから入って道を抜ければフォルセハートは目前です」
森に近付くにつれ、レオーネさんがあからさまに周囲を警戒し始めた。
私もいつでも刀を抜けるよう準備をする。
ただ、さっきのアラウネの体液のせいで切れ味はかなり落ちているだろう、気を付けなくては。
辺りの魔物たちにも変化があった。
それまで近付けば逃げていくだけだった魔物たちが、こちらを睨んで威嚇してくるようになった。
種類も少し変わっている。
「レオーネ様、私の側に」
赤い目でこちらを睨み付ける尾が二叉に分かれたネズミを睨み返しながらレオーネさんに忠告し、彼女も素直に従った。
四方から視線を感じる。
襲ってこないのは、恐らくこちらの隙を伺っているのだろう。
一体だけならまだしも全方位から来られたら対処しきれるかどうか...。
隙を見せずに魔物たちと牽制しあいながら進んでいく。
「...イツキさん、あれを」
レオーネさんがおもむろに指差した。
見れば森のなかに道が見える。
「あれは...森への入り口ですか」
「そうです」
どうやら、護衛も佳境に入ったようだ。
正直怖い。
薄暗い森に続く道がなんだか化け物の口に見えてくる。
森を通れというのは、魔物の口に飛び込めと言われているみたいなものだ。
入り口の前に立ち、中を見る。
道は曲がりくねっていて、足場も悪そうだ。
左右には茂みやら大木やら倒木やら、魔物が隠れるには事欠かなさそうなものだらけ。
...嫌な道。
心の中で呟いて、一歩足を踏み入れた。
「レオーネ様、隣国まではあとどれくらいですか?」
「あと一時間程度です」
一時間...短いのか長いのか。
私は行きたくないという本音を抑えてレオーネさんの後に続いた。
光の差しにくい薄暗い森は、湿った香りがした。
地面も落ち葉で埋まっていて、この下に何かいるのではと疑ってしまう。
一歩歩くとかさ、かさと音がする。
この音で魔物に気付かれているのではと冷や冷やする。
しかし、一番不気味なのは今のところ魔物がほとんど視認できないことだ。
森は魔物の住み処のはず。
平原にはあんなにいたのに...。
レオーネさんも唖然という顔で辺りを見回している。
「レオーネ様...」
「...ええ。魔物がいない...こんなこと...」
レオーネさんはまた何か思案していたが、しばらくすると顔をあげた。
「異常ではありますが...中を通るには好都合です。今のうちに早く抜けましょう」
もっともな提案に、私もうなずいた。
そのままどんどん進んでいくが、一向に魔物と遭遇しない。
森は最後の難関だと散々聞かされていた。
つまり、普段はそうなのだろう。
じゃあ、なぜ今日に限って...?
ふと見ると、森の奥の方がわずかに明るくなってきた。
「あの奥の光は...」
レオーネさんもむしろ気味が悪そうだ。
歩く早さが自然と上がる。
そして、次第に日の光が強くなり...。
「...」
森を、抜けてしまった。
目の前に、明らかに城壁のようなものが見える。
「レオーネ様、あれが...?」
「ええ。...隣国、フォルセハート...です」
レオーネさんの声に明らかに当惑の色が見える。
当然だ、最後の難関が...全くなにもなく終わってしまったのだから。
納得いかないまま、見えていた城壁に向かって歩き出す。
「...どうして、森に魔物がいなかったのでしょうか」
ぽつりと呟いた。
「...さあ」
レオーネさんもぽつりと返してくる。
最近は魔物の出現頻度が高いからこそ近隣の国で被害が出ているのだ。
その魔物たちの根城といえる森に魔物が出なかったなんて...。
思考が堂々巡りする。
「...今まで、こんなこと」
なかったのか、やはり。
「何か、理由は考えられないんですか?」
「......信憑性に欠けるものばかりですが...」
構いませんと示すためにうなずく。
「魔物たちが...何かに怯えている、とか」
「なにか...?」
「彼らは本能で生きていますから...自分より格上の存在には怯えます」
それは、まあ理解できるが。
それにしたって、森中の魔物が一斉に怯えることなんて...。
だから、レオーネさんも信憑性に欠けると言ったのか...。
あれこれ考えている間にあっという間に隣国フォルセハートの城門についた。
見れば、巨大な門は固く閉ざされ、出てきた国とは装いが違う衛兵が城門前を護っている。
私たちが近づいていくと、出国するときのように槍で道を阻んできた。
「お待ちを、ご婦人方。いったいどちらから参られたのか」
レオーネさんは、またあの堂々とした振る舞いで懐から例の羊皮紙を取り出した。
せっかく鞄を持っているのだから、その中に入れればいいのに。
大切な物だから懐に入れておきたいのだろうか。
「わたくしはグラキエース家当主レオーネ・アルム・グラキエース。セヴィオ王国より商談のために参りました。我らが王より正式に許可を得ております」
言いながら羊皮紙を開き提示する。
衛兵は浮かび上がった光の文字をしばらく読み、すっと道を開けた。
「確かに確認いたしました。ようこそ、我らがフォルセハートへ」
いうなり、ギィィィィィ――と音を立てて城門が開いた。
そして中には...活気あふれる街並みが広がっていた。
セヴィオ王国と比べて機械技術が発達しているようだ。
道路は広く、私たちでいう所の駆動車のようなものが走っている。
空を見上げれば、飛空艇がさかんに飛び交っていた。
「ここが...」
「工業王国、フォルセハートです」
高揚した私の声に、レオーネさんも答えてくれた。
「この国は非常に機械技術の発達した国です。私たちは、ここの高度な科学技術と我が国の魔力を用いた繊細な技術を交易でやりとりしているのです」
そういえば、あの呉服屋の売り子の女の子が、最近科学技術がどんどん進んでると言っていたのは、この国との交易の結果だったのか。
「イツキさん」
子供のようにいろんなものに目を奪われていた私にレオーネさんが少し楽しそうに話しかけてきた。
「この国に来ると、やはり気持ちが高揚しますね」
「ええ。いろいろなものがあって」
にっこりと笑い返した私に、レオーネさんは懐中時計で時間を確認する。
「...」
「お時間、大丈夫ですか?」
レオーネさんはしばらく何か考えてから向き直った。
「時間までは少しありますから...イツキさんさえよければ少しこの国を見て回りませんか?」
正直驚いた。
まさかレオーネさんから誘ってくれるとは思わなかった。
それに、私自身もこの国を色々見たい。
断る理由なんてあるはずもなく、私は笑顔でうなずいた。
「ええ、もちろん」
連れられて歩いているときも、色々なものがあった。
整備所に止まっている飛空艇や、それをメンテナンスする機械たち。
立ち並ぶ店のショーウィンドウの中にはメカニックな鎧...というか、装甲かしら?や武器が飾られていた。
いかにもといった魔法の杖や魔装具が売られていたセヴィオ王国とはずいぶん様相が違う。
「それぞれの国で...ずいぶん様子が違うのですね」
レオーネさんはうなずく。
「それぞれが独自の発展を遂げてきた国々ですから。ここは機械工業ですし、うちは魔工芸ですが、ほかの国には豊かな水源をもとに水産業、海や川を使った運輸で成功した国なんかもあります」
「そうなんですか...それを聞くといろんな国に行ってみたくなりますね」
商品だけでなく、行き交う人々もなんだか変わっている。
セヴィオ王国によくいた獣人たちは少ない。
その代わりに、機械人と思しき人たちがあちこちひっきりなしに歩いている。
「彼らもれっきとした種族なんですよ」
機械人を見つめる私に気付いたのか、レオーネさんが教えてくれた。
「種族なのですか...!?」
てっきり、人間...に限らないけど、作られたものだとばかり思っていた。
「ええ。そう公式に認められています。もともとは人の手で作られたものなのですが、次第に心を持ち、紆余曲折の末種族として独立した...そう父から聞きました」
紆余曲折...きっと壮絶だったことでしょうね。
「最初はきっと確執もあったことでしょうけれど...今はそれもほとんどなくなり、ああやって共存できるようになっています」
レオーネさんの視線の先には、仲良く遊ぶ人の子と機械人の子がいた。
その後ろには子を見守る親がおり、そちらも楽しそうに話している。
微笑ましい光景に思わず私も顔がほころんだ。
ふと見ると、喫茶店らしき店の前になにやら動物がいた。
姿はさるに近く、尻尾が長い。
サルというよりミーアキャット...かしら。
手をしきりに動かして何かしている。
何をしているのかと思ったら、なんと細い糸を両手に引っ掛けてあやとりのように遊んでいた。
近づいてきた私たちに気付くと、くりっとした大きな目でじーっとこっちを見つめてくる。
レオーネさんがそっとしゃがんで頭をなでてやると、その手に頭を擦り付けるように甘えている。
一言でいえば、可愛い。
私もしゃがんでその動物を見つめる。
すると、動物の方も私の方を見た。
そして、ゆっくりとそばに寄ってきた。
どうしたらいいかわからずレオーネさんの方を見る。
「そっと撫でてあげてください。噛みついたりはしませんから」
言われるままに、おそるおそる頭に手を近づけ、触れるか触れないかくらいでそっと撫でてみた。
すると、さっきレオーネさんにやっていたように私の手にも頭を擦り付けてきた。
...かわいい。
「レオーネ様、この子なんという種類なのですか?」
「この子がニーマですよ」
ニーマ...?
ということは...。
「じゃあ、この子がさっき遊んでた糸が...」
「ええ。セルイーシの素となる糸です」
こんなかわいい動物だったのかと改めてまじまじと眺める。
蜘蛛型でなくて糸を出すなんて言うから私はてっきりいもむ...いえ、やめておきましょう。
「ごめんなさい、そろそろ...時間なので」
レオーネさんがそう言って立ち上がったので、少し名残惜しいが立ち上がる。
ニーマも少し残念そうにもといた場所に戻っていった。
時間...つまり、商談の時間が迫っているのだろう。
もうそんな時間か...。
「レオーネ様」
「イツキさん...ここまで本当にありがとうございました。あなたがいてくれたから...ここまで無事に来れた。感謝してもしきれません」
深々と頭を下げられる。
「お礼には...及びませんよ」
だって、これは仕事だから。
「...これ、前金です」
そういって差し出されたのは、前金にしたって分厚い札束。
だが、これは仕事。
受け取らない訳には行かない。
「頂戴いたします」
「本金はオーウェンに預けてあります。後ほど連絡を入れますから、後日払われるでしょう」
少し間が開く。
「...少しの間、だけですが...。あなたと話せて楽しかった。会えてよかった」
「...」
レオーネさんは、名残惜しそうに辺りを見回してから私に背を向けて去って行った。
その背中が見えなくなるまで見送る。
完全に見えなくなったとき、私は大きく息を吐きだした。
さて...私も行かなくては。
まだ、最後の仕事が、残っているのだから。

薄暗い部屋。
寝台の毛布が盛り上がっている。
本来人が来るはずのないところのはずだった。
小さな音がしてゆっくりと扉が開く。
うっすらと開いたその隙間から、影が滑り込んでくる。
人影は、まっすぐに寝台に近づいて行った。
盛り上がった毛布を前に、おもむろに持っていたバッグから美しいスウェプト・ヒルトの短刀を取り出し、両手で握りしめた。
力が入りすぎて小刻みに震えている。
そして、ゆっくりと振りかぶり...思い切ったように振り下ろした。
突然、何かが割れる音とともに、人影が大きくバランスを崩す。
私がそこに張っておいたバリアにナイフがはじかれたのだ。
ナイフは寝台に突き刺さることなく、地面に転がる。
足元に転がってきたナイフを拾いあげた。
「っ......」
「おやめください。もう...無理ですよ」
私の声に、人影の動きが止まる。
「ずっと気になっていたんです。色んなことが。...依頼の話を聞いた時からね」
「ッ!!」
部屋の明かりをつけると、そこには私がここまでずっと護衛してきた...レオーネ・アルム・グラキエースその人が立っていた。
「...い、イツキ...さん...」
レオーネさんが私のほうを何か化け物を見るような目で見てくる。
「なんで...どうして、あなたが...ここに...?入れるはずが...」
その問いは妥当だ。
私はただの護衛、しかももう契約は切れている。
私がここにいられるのは...。
「私が手引きしたからでございます」
私が言うまでもなく、本人がすっと現れた。
レオーネさんの表情が先ほどとは比べ物にならないほど驚愕に満ちた。
「なッ...あ、あなた...ッ!」
現れたのは、オーウェンさん。
レオーネさんの執事。
「オーウェン...!?あなた...セヴィオに残ってるはずじゃ...!」
レオーネさんは、状況についてこれていない。
はっとしたレオーネさんが膨らんでいた布団をはぐと、そこには丸められた薄めの毛布が置かれていた。
古典的な手ではあるが、十分な効果は出せたようだ。
呆然とするレオーネさんを見て、オーウェンさんは静かに言う。
「貴女様の標的は、私の計らいでここにはおられません。イツキ様に協力を仰ぎ、ここに入れるように手配したのも、この私でございます。全ては、貴女様の...計画を防ぐために」
昨日、私の部屋にオーウェンさんが来たのは、このことを...レオーネさんを止めるのを手伝ってほしいということだった。「レオーネ様が...誰かを殺めようと...?」
「ええ...。このような状況にもかかわらず決められた商談、先ほどの往路だけでよいというお言葉...。おそらく、間違いないかと」
「しかし...。仮にそうだったとしても、誰を狙っているのかもわからなくては手の打ちようが...」
「標的の目星はついております。」
「え?」
「おそらく、今回の商談の相手です。...あなたもご存じでしょう、先代当主が今...非常に容体が思わしくないことを」
「ええ」
「...実はこの間...旦那様は何者かに命を狙われたのだという内容の手紙が届いたのです」
「なんですって...?」
「匿名で差出人はわかりませんでしたが...少し気がかりだったので他の脅迫状などとは別に保管していたのです。しかし、それを...」
「レオーネ様が見てしまった...」
「その通りです。私が目を離した少しの間に...。それからお嬢様は突然この商談の話をつけ、我が国の王の許可を受け...あなたを雇ったのでございます」
「...レオーネ様なりに、犯人にあたりを付けたのですね」
「おそらくは。今回の商談相手はかつて、旦那様と激しい商業闘争を繰り広げ、最終的に敗れた者です。きっと恨んでいると踏んだのでしょう」
「...」
「そこであなたに...協力していただきたいのです。レオーネ様が取り返しのつかない過ちを犯す前に...あの方を止めたい」
「...わかりました」「お二人を見送ったあと...私はお二人の後を追い、この国に入りました。お嬢様の商談の始まる時間は知っていましたので、イツキ様と落ち合いこうして待っていたのです」
オーウェンさんの話を聞くレオーネさんの横顔が歪んでいる。
「...二人して、わたくしを...罠にかけたということですか」
私もオーウェンさんも答えなかった。
「...計画を...まさかこれほど簡単に、見破られるなんて...」
自嘲したような声色でレオーネさんが呟く。
そのまま、ガクッとその場に膝をついた。
「...わたくしは、父のかたきすら...討つことができないのですね」
「レオーネ様...」
うつむいているため顔は見えない。
いったい今どのような表情なのか、見ることはできない。
「...お嬢様。やはり、御父上の...かたき討ちをなさろうとしていたのですね」
「ええ...そうよ。...父を、父を手にかけようとした者を...私がこの手で...。そうしたら、この国で自首するつもりだった」
それで、往路だけでいいと言ったのか。
この国で自首すれば、この国で拘留されるだろう。
そうなればセヴィオ王国に帰ることはないと踏んで...。 

長い沈黙ののち、オーウェンさんが静かに切り出した。
「お嬢様。貴女は本当に、御父上は狙われたのだとお思いですか?」
レオーネさんが唖然と言った風に顔を上げた。
「当たり前でしょう!だってお父様は...」
「なぜ、そう言い切れるのですか?」
オーウェンさんのその言葉に、レオーネさんは押し黙る。
「...お嬢様、お聞きください。御父上は...誰にも命を狙われてなど居りません」
「!?」
レオーネさんの目が見開かれた。
「御父上は...ご病気だったのです。長年の無理が祟ったのでしょう」
「嘘...」
信じられないといったふうに、レオーネさんが呟いた。
しかし、オーウェンさんは駄目推すように続ける。
「確かでございます。...実際に確認しております」
懐から診断書らしきものを取り出したオーウェンさんは、レオーネさんに見せた。
私には見えなかったが、きっとオーウェンさんの言葉を裏付けることが書いてあるのだろう。
「そんな...そんな、まさか...」
「...お分かりですね?」
レオーネさんの目に涙がたまる。
「じゃあ、私は...何の罪もない人を、殺めようとしていたの...?ただの思い込みで...?」
私もオーウェンさんも何も答えない。
レオーネさんは、思い込みから人を手にかけようとした。
その事実は、否定できないから。
「ふふ...っ...ほんと、何だったのかしらね......外から護衛を雇って...王の許可まで頂いて...全部、無意味だったなんて...」
ふらっと立ち上がるレオーネさん。
「...あなた方のおかげで、最悪の過ちは犯さずに済みました。ありがとう、オーウェン。それに...イツキさん」
言葉ははっきりとしているものの、目に光がない。
「レオーネ様、これからどうなさるおつもりですか...?」
思わず尋ねる。
レオーネさんは人形のような笑みを浮かべながら、答えた。
「自首します。...ナイフを持って、人を手にかけようとしたのは事実ですから」
ナイフ...ね。
「ナイフって...どのナイフですか?」
何のことかわからないという風に言う。
「何を言っているのですか?さっきあなたが拾って...持っているはずでしょう?」
さて、なんのことやら。
私は何も持っていない手を見せ、どこにもそんなものはないとその場で一回転して見せた。
「あ、あなたが持っていないのならオーウェンが...」
その言葉に、オーウェンさんも私と同じように持っていないと示す。
レオーネさんがまた困惑し始めた。
「え...じゃあ、いったいどこに...?さっき弾かれて...」
「さあ、どこでしょうか」
いたずらっぽくそうオーウェンさんがはぐらかす。
私もくすくすと笑った。
「オーウェン、イツキさん。何を企んでいるのです?」
問い詰めるようにレオーネさんがにじり寄ってきた。
「では、少し屋敷の方に連絡をしてみましょうか」
オーウェンさんは、言いながらパッと手を開いた。
するとそこに正八面体の結晶が現れた。
私がグラキエース家に初めて行った時の呼び鈴と同系の物らしい。
オーウェンさんが少し念じると結晶があの時と同じように青い光を放ちながら回転し始めた。
『はい』
結晶から声がする。
声の主は、私に色々話を聞かせてくれたメーベルだろう。
「メーベル」
『オーウェン様!いったい今どちらに...?』
「詳しいことは後程話します。少し確認してほしい」
『確認...?何でしょうか?』
「屋敷に飾ってあるはずのスウェプト・ヒルトの装飾ナイフ。それがあるかどうかだ」
メーベルの足音が離れていく。
「あるはずがないでしょう。私が持ってきたのだから」
呆れたようなレオーネさんの声。
私もオーウェンさんも少し笑うだけだった。
『お待たせしました。えーと...旦那様のお部屋に飾ってあった装飾ナイフでしたら、確かにありますが』
その答えにレオーネさんが息をのむのが聞こえた。
オーウェンさんは笑みを深める。
「そうか、ありがとう」
『いえ...あの、お気をつけて』
メーベルとの通話が切れると、結晶の光は消え回転も止まった。
レオーネさんは唖然を通り越して呆然としている。
「どうやらナイフは屋敷にあるようですね、お嬢様」
「...............」
考え込むレオーネさんを見て、私も少し楽しんでいた。
あまり褒められてことではないのだけれど...。
しばらく考えていたレオーネさんは、ふっと何か思いついたようだ。
口元に笑みが浮かんでいる。
「ああ...そういうこと、ね」
そうつぶやくと、オーウェンさんの方を見た。
「あなた...魔法使だったものね、オーウェン」
「さようでございますが、それがどうかいたしましたか?」
あくまでしらを切り通すオーウェンさんにレオーネさんは苦笑する。
「さあ、出ましょう」
ここには何の用もないのですから。
私がそう二人に言うと、二人は笑ってうなずいた。
レオーネさんの案内で屋敷の外に出た。
その屋敷の前で立ち止まる。
「...ありがとう、イツキさん。本当に...」
数時間前にも言われたその言葉。
だが、その意味は全く違っていた。
「お約束通り、お嬢様の護衛は私が引き継ぎます」
これも話していたことだった。
そもそも私は往路だけだと依頼主に言われている。
その後のことは...燿的に言うなら時間外労働かしら。
協力するといったのは私だから不満はないけれどね。
「わかりました」
「それでは...これを」
オーウェンさんがすっと大きな便せんのようなものを差し出した。
今回の仕事の報酬だ。
...そう、これは...仕事。
私はそれを受け取ると、中をさっと確認した。
お金の束が三束。
「...確かに頂戴いたしました」
封筒を大事にしまいこみ、私は初めてレオーネさんに会った時のような深いお辞儀をする。
「この度は、私どもに依頼していただき誠にありがとうございました。また...いつでもご連絡くださいませ」
「ええ。こちらこそ...もう、何とお礼をしてよいか...。また、今度はプライベートで遊びに来てください。いつでも歓迎いたします」
レオーネさんが差し出した手を、握り返す。
握った手の温かさを感じて、心からこの人を守れて良かったと感じた。
最後のやり方は...本当は許されないかもしれないけれど、それでも。
「...お嬢様」
オーウェンさんが、懐中時計を見ながら私たちに声をかける。
名残惜しいが、そろそろ時間のようだ。
握っていた手を離す。
レオーネさんも別れがたそうにしていたが、オーウェンさんに連れられ去って行った。
私は、二人の姿が見えなくなるまで見送った。
これで、本当に...任務完了。
さすがに、少し疲れた。
帰還しようと、端末を起動しようとしたとき。
どんっと後ろから誰かにぶつかった。
「きゃっ!」
「っ!」
思わず振り返ると、丸眼鏡で髪を三つ編みにした女の子。
ぶつかったはずみでか、メガネがずり落ちかけている。
「ご、ごめんなさい!前見てなくて...」
「いえ、こちらこそ周囲に気を配っていなくて...。大丈夫ですか?」
私が謝ると、女の子は慌てて眼鏡を直してすごい勢いで頭を下げた。
そのせいでせっかく直した眼鏡がまたずれている。
「わ、私は大丈夫です!ほんとごめんなさい!」
「大丈夫ですよ。そんなに謝らないでください」
ぺこぺこと謝る女の子をなだめていると。
「こらグリ!なにしよってん!はよ来いや!置いてくで!」
「全く。世話が焼けますね」
遠くから怒鳴り声がした。
見れば、女の子の連れらしい人がこっちを見ている。
「ご、ごめんなさい!...じゃ、その...失礼します」
女の子は申し訳なさそうに一礼すると、向こうへ駆けて行った。
連れの関西弁の人が女の子を小突いているのが見えた。
「ほんまアホやな、お前は。もっと周りを見んかい」
「あなたは注意力が散漫なのです。そんなことでは玻璃と同レベルですよ」
「ぁあん!?なんや柊!お前うちが注意散漫のアホや言うとんのか!」
「事実でしょう。この間も周りを見ないせいで私が尻拭いする羽目になったのですから」
「テメーに助けろ言うた覚えはないわこのひいらぎが!」
「ああそうですか。ならこれからは喜んで見殺しにさせて頂きますよミシン針」
「なんやとゴルァ!」
「や、やめてくださいお二人とも...」
「うっさいわボケナス!」
「...放っておきなさいグリシーヌ。それより、ギルレインとレイドは?」
「そ、それが...勝手にどこかに遊びに行っちゃったらしくて...」
「はあ!?あいつらおらんと帰れへんやないか!」
「あの子たち、目立つからすぐ見つかるとは思うんですけど...」
「はよ探せや!曲がりなりにも主やろが!」
「管理不行き届きですよ、グリシーヌ」
「ご、ごめんなさい...」
なんだか私たちの会話に似ていて思わず話を盗み聞いてしまった。
いけない、なんて失礼なことを。
はっと我に返り、今度こそ端末を起動する。
そして、[帰還要請]のコマンドを押した。「お疲れさまでした、斎希」
帰還した私を、刹那がにこやかに出迎える。
やっぱり、帰ってくると安心する。
無事に達成できたっていうこともあるけど...なにより我が家に帰ってきた安堵かしらね。
転送装置から降りて、ぱんぱんと着物の埃を払う。
「ありがとう。...燿は?」
「つい先ほど帰ってきたところですよ」
燿も帰ってきてるのか...。
じゃあ報酬金は燿に預けた方が良さそうだ。
「とりあえずだけれど、成功よ」
「そうですか。さすがの働きです、斎希」
今しがた頂いた報酬を見せると、刹那はにっこりと微笑んだ。
満足してもらえたようで良かった。
そう思って部屋を出ようとしたとき。
「バリアは張れるようになってきましたか?」
「...」
全く、人のあまり触れられたくないところを的確についてくるものだ。
正直まだ張れるようになったとは言えない。
レオーネさんのナイフを弾いたとはいえ、その衝撃でバリアは砕け散ってしまった。
「...張ること自体はできるようになってきた、ということでいいかしら」
バリアとしての機能は果たしていないけれど。
刹那は変わらず薄笑いを浮かべている。
本当に、この人の考えはわからない。
「そうですか。張れるようになれたのなら十分です。鍛錬を続ければきっとものにできますよ」
刹那はそう言い残して転送装置の方に行ってしまった。
私は軽くため息をついて部屋を出る。
まず最初に目に入ったのは、ソファですやすやと眠る燿。
任務で疲れたのだろう。
報酬を預けようと思ったのだけれど、起こすのも可哀想ね。
燿を起こさないようにそっと側を通る。
キッチンでは双葉がせっせと何かを作っていた。
「双葉」
「あ、斎希ちゃん!お帰りなさい!」
エプロンで手を拭きながら双葉がこちらへやってくる。
「お疲れ様!大丈夫?怪我とかしてない?」
「ええ、大丈夫よ。何か手伝うことあるかしら?」
キッチンの方を見てみると、卵や野菜が出されている。
「ううん平気だよ。斎希ちゃん任務で疲れたでしょ?休んでて」
確かに疲れてないといえばうそになる。
「そう?ありがとう。じゃあお言葉に甘えて」
「うん!ちょっと前に燿ちゃんも帰ってきて。お腹すいたって言ってたからちょっと軽いもの作ったんだけど...」
双葉は言いながらソファを見やる。
燿は起きる気配なく眠り続けている。
しばらくその様子を見た後、双葉と顔を見合わせてくすっと笑った。
「寝ちゃってるみたいだし、起きてきてからでいいかなって」
「そうね。寝かせてあげましょう」
双葉は台所に戻って行った。
さて、私も部屋に戻ろうか。
お茶をたてて一息つきたいし、刀の手入れもしたいし。
そう思ってまた燿の前を通る。
「...むにゃ」
燿がなにやら寝言を言っている。
「...ふふ」
燿の寝顔が意外にあどけなくて、自然と笑みがこぼれた。
私は一度部屋に戻って薄いタオルケットを持ってくると、燿にそっとかけてやった。
風邪をひかないように。
「...お疲れ様、燿」
そっと呟いて、今度こそ私は自室に戻った。

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