ウァラクにマッサージしてもらう話
※pixivであげた作品です。
昼下がりというには遅く、夕方というには早い。そんな中途半端な時間の太陽が、アジトの中に燦々と差し込んでいた。少し肌寒くなりつつある時期ではあったが、その陽光のせいかそれほど気にはならない。強いて言うならば、傾きかけた日差しがいささか眩しいことくらいだろうか。
珍しく静かな日だった。アジトのなかは静寂につつまれ、人の声もない。
いつもなら、誘拐組やフラウロスあたりが酒やギャンブルに興じて(大抵酔い潰れているか熱くなりすぎているかのどちらかだが)いたり、かたやちびっ子メギドたちがおいかけっこやかくれんぼをして遊び回っていたり、あるいは演奏家メギドたちが揃えば小音楽会が開催されたりもするのだが、今日に限ってはどれもなかったのだ。喧騒から解き放たれた、ゆったりとした時間がアジトに横たわっていた。
そんななか、普段なら誰かしらが酔い潰れているバーカウンターの椅子に、ひとつの人影があった。何をするでも、何を飲むでもなく、ただ座っている。その目はどこかぼんやりとしていて、どこか遠くを見ているようだった。燦々と差し込む陽光が、全身に浮き出た刺青を照らし、その指に嵌まった五つの指輪に反射していた。
ひと癖もふた癖もあるメギドたちをまとめあげる、ソロモン王その人である。
ヴァイガルドの防衛に成功したソロモンたちは、いよいよ異界メギドラルへの遠征を決め、それまでにヴァイガルドである程度の脅威を除いておこうと日々戦っているのであるが、騒ぎがなければソロモンの仕事はない。それで、1人アジトで物思いにふけっているわけである。
ソロモンの日常はなかなかハードだ。メギドとともにヴィータを脅かす幻獣どもを掃討したり、メギドラルから亡命してきたメギドがヴァイガルドに馴染めるように手を貸したり、王都のシバの女王に命じられた調査を行ったり。彼の判断がそのまま生死を左右するような、そんな命の危険と日々隣り合わせなのである。
そんななかで、これまた珍しいことにこの日は特にすることもなく、鏡の間に引きずって行かれるようなこともなく。そんな時、ヴィータがぼんやりと何かを考えてしまうのは世の常だ。そしてそれはソロモンも例外ではない。ただ悲しいかな、今ソロモンが考えていたのはお世辞にも楽しいこととは言えなかった。
アドラメレクによるアジト襲撃。そして幼いメギドたちに振るわれた凄惨な暴力。報告は当然ソロモンも聞いていたが、ジズの夢の中でそれが如何に惨絶なものだったのかをまざまざと見せつけられたのだ。それを目の当たりにしたときのソロモンの衝撃は推し量るに余りあるものだった。自分の知らないところで、どれほど酷いことが起きていたのか。そして、それを自分がどれほど理解できていなかったのかを眼前に叩き付けられたのだから。
あの一件以来、アジトの警備は強化している。先程から静かだ静かだと鬱陶しいほどに連呼してはいるが、決してアジトに誰もいないわけではない。部屋をノックすればアジト住みの誰かしらが出てくるだろうし、ポータル部屋には今も1人以上が見張りをしている。ついさっき、ロノウェと入れ替わりにアンドレアルフスが入っていくのを見かけたので、今は彼が担当しているはずだ。ロノウェがどこに行ったかは見ていなかったものの、真面目な彼のことだ。鍛錬場にでも行ったのだろう。
「.........」
カウンターに肘をつき、虚空を見つめ始めてから、どれほど時間が経っただろうか。ソロモンの頭のなかには、ジズの夢の中で見た目を背けたくなるような惨状が渦巻いていた。血まみれのアムドゥスキアス。アドラメレクに殺されたカスピエルとアガリアレプト。実際にはどうにか犠牲者は出ず、アムドゥスキアスもサルガタナスから提供された携帯フォトンを使って、アンドラスが治療し一命を取り留めた。しかし...本当に死人が出てもおかしくはなかったのである。むしろ出なかったのが奇跡と言えるかもしれない。自分はその場にいなかったとはいえ、アジトの襲撃を予測できなかった。なにか、対策を立てる余地はなかったのか。今さらなにを思っても無駄なのはわかっている。けど...。
(...疲れてるのかな、俺)
考えが悪い方へ悪い方へと行ってしまう。なにかこれからのことを考えようとするも、浮かんでくるのは悪いことばかりだ。
(いや、やめよう)
こうなってはなんの生産性もない。多分疲れてるんだ。
実際最近身体に違和感はあった。戦いの時、メギドたちにフォトンを送っていく際、腕を動かしたときに肩にわずかな引っ掛かりを感じ、戦闘の後にこっそり肩を回してみると、今度ははっきりとした鈍痛が走った。思わず軽く顔をしかめてしまい、その場にいたウェパルに突っ込まれたほどだ。まあ戦いの後で疲れたのだろうとその場は誤魔化したのだが、それから次第に頭まで痛くなってきた。これはマズイと思ってわしわしと自分で適当に肩を揉み、騙し騙しやってきたのである。誰かに頼めばいいではないかと言われればそうだが、別に怪我したわけでもないし...と妙に気恥ずかしく、誰にも頼めずじまい。メギドをまとめあげるソロモン王といえども、まだまだ齢17歳の少年なのだ。
暗い思考を断ち切るため、部屋に戻るかはたまた王都でもぶらつくか...などと考え始めたとき、ふと誰かが来た気配がした。正確に言えば、足音がしたのだ。
「あら、ソロモンちゃん」
明るく、そしてどこか艶めかしさを感じる耳に優しい声。自分にちゃん付けしてくる者などそうはいない。
くるっと振り返り、にっと笑いかけた。
「ああ、ウァラクか!」
長く豊かな空色の髪。少々目のやり場に困る扇情的な装い。それによってより存在感を放つ豊満な胸。
軍団のお姉さんことウァラクが、人のいい笑みを浮かべていた。
優しく面倒見のいい彼女は、普段は彼女が所属するキャラバンで幻獣による被害などで親を失った子どもたちを保護しては勉強を教えたりしているだけあり、子どもの相手が非常に上手い。アジトに顔を出したときは、よくジズたちちびっ子メギドの相手をしている。自分のことを「お姉さん」とよく言うが、彼女の包容力や気立ての良さは誰しもが認めるところであった。
「ソロモンちゃん、一人なの?珍しいのねえ」
「ああ、たまたま今日はみんな出てるみたいなんだ」
にこにこと笑いながら歩み寄ってくるウァラクに向かって振り向くような態勢で首を動かす。
(...っ)
肩に相変わらずの違和感。耐えられないほどではないが、違和感があるのはやはり気になるものである。負担にならないように身体ごとウァラクの方へ向いた。
「最近あんまりアジトに来てなかったけど、キャラバンのほうが忙しいのか?」
「そうね。最近新しい子どもたちがたくさん来たから、その子たちが馴染めるまでちゃんと面倒を見てあげなきゃいけなくって」
「はは、ウァラクは子どもの相手が上手いもんな。...はぁ」
最近自分が教育係になったちゃいきょーの2歳児のことが頭に浮かび、ソロモンは軽くげんなりした。
日々ソロモンの言うことなどどこ吹く風でアジトのなかを暴れまわっている。スラムで子どもの面倒を見ることもあるアミーは上手く対応していたが、昼寝を邪魔されたフルフルや仮面を壊されかけたオロバスは陰でソロモンに苦言を呈していた。ちなみに昼寝ときいて思い浮かぶもう一人の彼は、持ち前の頭脳と要領の良さで上手いことかわしてやり過ごしたそうだ。
そんな彼女は、今日フィロタヌスとともに課外授業に出掛けている。
「まあソロモンちゃん。そんなため息つかないで。一緒にいればコツがわかってくるものよ。ね?」
慰めるような声色で、ウァラクが右肩にそっと手を置いてきた。正直、軽く触れられるだけで違和感があるが、手を払い除けるのはさすがに失礼なので黙っていることにした。...のだが。
「やだソロモンちゃん!肩バッキバキじゃない!」
何もせずとも気付かれた。
「あ、いや、そんな大したことは...」
「大したことあるわよぉ!こんなにカチコチだったら普段の生活も辛かったんじゃない?」
「いや...そんな、言うほどは...」
嘘である。普段から肩を動かすたびにひっかかるような違和感と鈍痛が走るのが正直鬱陶しかったのは事実だ。適当に揉んでその場はしのいでも、すぐに痛みは戻ってくる。
痛みがないときでさえ、肩を回すとゴリゴリとでも形容すればいいだろうか、そんな感覚が取れないのだ。
「もう、お姉さんに何でも相談してねっていつも言ってるのに」
「...ご、ごめん」
ウァラクにたしなめられると、なんだか本当の姉に言われているような気分になる。ソロモンには兄弟はいなかったので、姉がいたらこんな感じなのかもなぁとぼんやり考えていた。
「ほらソロモンちゃん。こっち来て」
...え?
我に返ると、ウァラクがバーカウンターから少し離れたソファーのあたりで手招きしている。
意図がつかめないまま、促されるままにソファに座った。
「ウァラク?」
「ふふ、大丈夫よ。お姉さんに身を任せて、リラックスしててちょうだい」
「え、身を任せてって...」
いささか妖しい言葉に、思わず振り返る。
「ほら、前を向いて?ちょっと触るわよ?」
ふわりと柔らかい手が自分の肩に触れるのを感じる。人の手が何かを探るようにさわさわと肩の上を往復するのは、なんとなく心地よかった。
しばらくすると、探るように動いていたウァラクの指がある一点で止まった。
ごりっ
「いっっっだぁ!?」
「ちょ、ソロモンちゃん!?」
突如予想だにしなかった激痛が肩を襲った。まるでなにかで刺されたような。肩だけでなく、その周辺...背中や首にまで衝撃が伝わるほどの痛み。
今までの疼痛とは比較にならないほどの衝撃に、思わず肩を押さえてうずくまった。
「おいソロモン、どうかしたのか?」
ソロモンの悲鳴を聞き付けたのか、ポータル部屋からアンドレアルフスが飛び出してきた。
「ごめんなさいね。ソロモンちゃんの身体のメンテナンスをしてあげようかなと思ったんだけど、ソロモンちゃん予想以上にひどくって...力加減を間違えちゃったみたい」
うずくまったソロモンの代わりに、ウァラクが答える。ソロモンはといえば、うずくまった体勢のままぷるぷると震えていた。...確か戦闘に連れ出されるときのスコルベノトがこんな感じだったような。
アンドレアルフスはその様子を一瞥すると、不機嫌そうにため息をついた。
「ったく、びっくりさせるなよ」
そのままアンドレアルフスが見張りに戻るのを見送ってから、ウァラクはソロモンに声をかけた。
「ごめんねソロモンちゃん。大丈夫?」
「いたい...」
「さっきもいったけど、ソロモンちゃんの肩、ソロモンちゃんが思ってる以上に大変なことになってるのよ」
ウァラクはそっとソロモンをもう一度ソファーに座らせ、慰み程度に肩を摩りながら対処法を考えはじめた。
ここまでガチガチになっている肩を無理に解そうとすると痛みを伴い、なによりそのあとに響きかねない。バティンはあえて痛がらせることで無理をしないことを覚えさせようとするけれど、別に自分はソロモンを痛め付けたいわけじゃない。...どうしたものかしらねえ。
一方ソロモンは、さきほどの激痛の衝撃が抜けきらないまま放心していた。なんだ、さっきのあの痛みは。自分の身体はあれほどまでに不調だったというのか。
一応メギドを従える身、その自分が体調不良で戦えないなど言語道断である。
「う、ウァラク...」
「うーん...どうしたものかしらねぇ...」
しばし思案していたウァラクの頭に、ひとつの妙案が浮かんだ。
「あ、そうだ。ソロモンちゃんちょっと待ってて!」
「ちょ、ウァラク!...」
ウァラクはなにやらぱたぱたと厨房のほうへ行ってしまった。その後ろ姿を見送りながら、ソロモンは思わず自分の肩に触れた。ウァラクをしてバッキバキのカチコチと言わしめてしまった己の肩。いったいどうすればいいのかわからない以上、ウァラクにすべてを任せる他に選択肢はなかった。いや、正確に言えばバティンやアンドラス、ユフィールに頼むという手段もなくはないのだが、バティンに頼もうものなら体調管理がなっていないとのお叱りと洗礼を受けること必至である。ウァラクに軽く触れられただけであれほど痛かったというのにそこにバティンの治療が加わる...考えるだけで背筋が寒くなってきた。
アンドラスとユフィールも頼めば対応してくれるだろうが、やはり恥ずかしさというものが壁になっていた。別に怪我したわけでもないし...となんとなく先送りにしてきた結果が今のこの現状なわけだ。
ぼんやりと思案していると、厨房の方からウァラクが戻ってきた。
「お待たせ、ソロモンちゃん」
「ああ。...ウァラク、それは?」
「うふふ、ソロモンちゃんの肩凝りを治すとっておきよ」
「はあ...」
ウァラクが持ってきたのはたらいだった。白い湯気が立っているのをみるに、張られているのはお湯らしい。白く細い腕には丈夫な布もかかっている。ウァラクはことんとたらいを地面におき、ふわふわと湯気の昇るお湯に丈夫な布を浸して濡らし、それをしっかりと絞って水気を切った。
「さ、前向いてちょうだい。今度は痛くないようにするから」
「...わかった」
「それと、上着少しずらすわよ」
「えっちょ、ウァラク?」
「あら、照れてるの?うふふ、男の子ねえ。脱いでっていってるんじゃなくて、肩を出す感じでずらしてほしいの」
「あ、ああ...」
ソロモンが少しどぎまぎしながら上をはだけさせて肩を出している間、ウァラクは絞った布を広げて軽くひっぱり粗熱を取ると、ソロモンの肩にふわりと乗せた。
「わ...」
結構湯気の立っているお湯だったからさぞ布も熱いだろうと思いきや、とてもちょうどいい温かさだった。凝り固まった肩に布の熱がじーーん...と染み渡り、少しずつ弛緩していく感覚に思わずため息をつきそうになる。
「これだけでも結構気持ちいいでしょ?」
「ああ...なんか、落ち着く...」
自分の秘策が上手くいっていることを悟り、ウァラクは笑みをこぼす。
ガチガチの肩は無理に揉みほぐそうとすると痛みをともない、最悪の場合筋繊維を傷付けて次の日泣きを見ることになる。いわゆる揉み返しというやつだ。そういう肩は、まず温めて少しでも筋肉を柔らかくしてから優しくマッサージしていくのが定石だ。ホットタオルの準備が難しければ、ただ優しく摩るだけでもかなり違う。
肩に乗せられた布の上から優しくさすられると、ソロモンはほぅ...、と息をついた。
「どう?ソロモンちゃん」
「うん...気持ちいい」
「ふふ、そのままリラックスしててちょうだいね」
ソロモンの肩を擦りながら、ウァラクは次の一手を考えていた。温めたことにより、表面は少しほぐれてきた。だがしかし、その奥の筋肉はまだまだガチガチだ。そろそろ次に進めていいだろう。
「ソロモンちゃん、そろそろ凝りを解していくわよ」
「え...」
「大丈夫よ、痛くしないから。でも、もし少しでも痛かったらすぐ言ってちょうだいね?」
「あ、ああ...わかった」
「ああ、ほら緊張しないで。力を抜いて、リラックスよ。リラックス...」
また数回肩を擦って、ソロモンから少し力が抜けたのを確認すると、ウァラクは先ほどソロモンが蹲るほど痛がったところを、掌を使ってさっきよりもずっと弱い力でく、く、と圧した。ソロモンはまたも激痛が走るのではと思わず身構える。しかし、覚悟していた痛覚は訪れず、じんわりとした快感が肩を中心に波紋のように広がった。
「あ...」
「ふふ、気持ちいいかしら?」
「うん...」
ソロモンからさらに力が抜けたことに声を出さないように笑いながら、ウァラクは凝り固まったところをピンポイントでくるくると円を描くように掌で圧していく。しかし、ソロモンの肩はまだまだガチガチである。できればもっとダイレクトにアプローチをしかけたいが、無理矢理力を込めようものならソロモンが先ほどと同じ目に遭うのは自明の理だ。今は焦るときではないか。
「ソロモンちゃん、力加減はどう?」
「すごい...なんか、ふわっと力が抜けていくような感じがする...」
「うふふ、それは良かった。お姉さんも嬉しいわあ」
時折擦りつつ、根気よく掌圧をしていくうちに、ソロモンは肩が次第にぽかぽかと温かくなってきたのを感じていた。
「なんか...肩があったかくなってきた...」
「血の巡りが良くなってきた証拠ね」
ソロモンが痛がらないように軽く押してみると、明らかに先ほどより筋肉が弛緩しているのがわかる。ソロモンの身体もだいぶ弛んでいる今なら仕掛けられるだろう。
「ソロモンちゃん、ちょっと力込めるわね」
「...ん」
ソロモンが頷くのを見てから、今度は親指の腹を使ってぐっと指圧をする。
「んっ...」
一点に集中した圧力に、ソロモンが思わず声をあげた。
「あ...い、痛かったかしら?」
少し慌てたようなウァラクの言葉に、ソロモンが首を振って答える。
「いや...痛いわけじゃないんだ。ちょっと痛い気もするんだけど、それが気持ちいいっていうか...」
「痛気持ちいいってやつかしらねえ。とにかく気持ちいいのなら良かったわ」
ウァラクは安心したように、くっくっとソロモンが痛がらない絶妙な力で凝り固まった筋肉を解していった。
一方、ソロモンはウァラクの指から与えられる断続的な快感に身を委ねつつあった。深い凝りに不用意に指を突き立てることなく、頑固に固まった筋肉をなだめて、ぐずるように滞った血の流れを優しく流していく。
前述の通りソロモンの日常はハードだ。気を抜ける時間などほぼないと言っていい。ヴァイガルドでのソロモンの活動はメギドラルでも認知されつつあった。それは、ハルマゲドンを阻止しようとするソロモンの命を狙われる危険性、頻度が上がったということ。ソロモンはその頭脳、作戦立案からそれを実行するまでの行動力に関しては一目おかれているものの、戦う能力は決して高くはない。身体能力が低いわけではないが、突出しているものもない。アマゼロトは彼自身がこの軍団の弱点だとして、少々実力行使がすぎる方法でそれをソロモンに自覚させた。その後ハックの鍛練を受けたりなんだりかんだり紆余曲折あって彼は常に周りを警戒するようになったわけだ。軍団の長としては正しいのだろうが、それはつまり常に緊張状態にあるということ。そんな状態でリラックスなんてできるわけがないのだ。
ぐーっと肩に指が入れられて、思わず気の抜けたような声が絞り出されていく。
「うぁー...」
「力加減はどうかしら?」
「ん、だいじょうぶ...あぁー...」
ウァラクは指先の感覚でソロモンの肩がかなりほぐれてきたのを感じていた。いったん肩から手を離す。
「ソロモンちゃん、ちょっと肩を回してみてちょうだい」
「ん、わかった。...うわ、すごく軽くなってる」
十数分前は首を回すのもつらかったほどの肩凝りが、今やスムーズに回してもほぼ違和感がなくなるまでに解れていた。驚きのあまり、思わず両肩、両腕、首と色々なところまで回した。すると一ヵ所、ぐりりと引っかかるところがあった。だいたい肩甲骨の下あたりだろうか。
「んっ...」
「どこかまだ痛いところある?」
「なんだろう、肩甲骨の下くらいかな...ちょっと引っかかる感じがする」
「わかったわ。そのあたりを重点的にやるわね」
ソロモンにまた前を向かせ、言われた通りの場所に触れてみる。なるほど確かに他のところと比べるとまだ固い。どうやらここがソロモンの肩凝りの中心点だったらしい。ここから凝りが広がってしまった結果だったのだろう。ならばここさえ解せれば...。
「どうやらここがソロモンちゃんの肩凝りの根っこみたいね。お姉さん、気合入れてほぐしちゃうわよ~」
「い、痛くないようにしてくれよ...」
大丈夫よ、と軽く返事をして、今度は最初から親指を使ってくーっとツボを押していく。さっきまで通り、ソロモンが痛がらないくらいの力で進めていく。しかし、やはり根深いのかなかなか指が奥に入らない。また温めてみるか...とも考えるが、先ほど使ったお湯やタオルは既に冷えてしまっているし、今からお湯を沸かしてというのも少々時間がかかる。本日二度目のどうしたものかしらねえ...である。
「...ウァラク」
少々思案していると、ソロモンが声をかけてきた。少し逡巡したような、控えめな声色だ。
「どうしたの、ソロモンちゃん」
「いや、今やってくれてるところ、もう少し強くしてくれないかな...って」
「!」
ソロモンのその言葉に、ウァラクがくすりと笑みをこぼす。
「わかったわ。でも、もし耐えられないくらい痛くなったりしたら我慢せずに行ってちょうだいね」
ソロモンがうなずくのを見てから、ウァラクは指先にぐっと力を込めた。ぐりぐりと凝りを揉み解していく。血が流れるようにときどき掌を使って背中を下から上に摩り上げることも忘れない。その甲斐あってか次第に指が深く入るようになっていく。
「ん、んん...」
たまに感じるごくわずかな痛みと快感の入り混じり、それが肩から腕、頭にまで伝わって抜けていくような感覚に、次第にソロモンは微睡みつつあった。瞼が重い。
さっきはバーカウンターを照らしていた陽光が、気が付けば二人がいるソファに向けて差し込んでいた。きつすぎない太陽の光は、まるでふんわりと包み込むようなあたたかさで、それが余計に眠気を誘った。
(きもちいい...)
すでにぼんやりと靄がかかったような思考しかできなくなってきた。ぽかぽかした太陽の光。今自らが寝転がっているソファの触り心地。自分の腕に乗せてる頭の重さ。そして、自分の背中を行き交うウァラクの柔らかな手。触覚だけが鋭敏になって、他の感覚は薄れていく。あたたかい。きもちいい。
ウァラクも、そんなソロモンの状態はわかっていた。それに合わせて、指使いも眠気を誘うようなものにへと変えていく。下手に刺激して覚醒してしまわないように、この子が気持ちよく眠れるように。ゆっくりと背中、腰、肩を摩っていく。もうほとんど凝りは解れていたから、それはマッサージというよりは母親が子どもを寝かしつけるためにするものに近い。慈愛に満ちていて、あったかくて、優しくて。
そんなものにあてられて、敵うわけがない。いとも簡単にソロモンの限界は訪れた。もう瞼を開けることも億劫で。少し前に考えていた凄惨な光景など、とっくに霧散して消え去っていた。今あるのは、気持ちのいい眠気だけ。これに身を任せて眠れば、さぞやいい睡眠がとれるとわかるような。
ねむい。ねむたい。でもそのまえに。
「...うぁらく」
「なあに?」
この優しい声の主に。
回らなくなりつつあった呂律で、それでも伝えたかった。
「...あり、がと...」
背中でウァラクが笑う気配がしたのを最後に、ソロモンの意識は途絶えた。
「ふふ、かわいいわねえ」
寝入ってしまったソロモンを見やりながら、ウァラクはそっと手を離した。普段自分たちを率いている彼は、どちらかといえば凛々しいという言葉がふさわしいのだろうが、今こうして目の前で寝ている彼は少々意外なほどにあどけない。それは、彼がまだまだ少年であるということをありありと示していた。こんな少年が、このヴァイガルドの未来を担っているなんて。メギドラルとの戦いでは凄惨なものを見ることになることもでてくるはずだ。つい先日のアドラメレクの話は、ウァラクの耳にも入っている。小さなメギドたちに降りかかった恐ろしい出来事に、ウァラクは憤懣やるかたなく思ったものだ。しかしメギドラルと戦うということはそういうことなのだ。
今日最初にソロモンと会ったとき、その顔がいつもよりも昏く陰っていたことに、ウァラクははじめから気付いていた。少しでもその曇った顔を晴れさせることができればと思ってマッサージなんてものをしてみたが、どうやらうまく行ったようだ。眠っているソロモンの顔は安らかだった。彼が目を覚ませば、また厳しい戦いの渦に呑まれていくのだろう。それは彼が"ソロモン王"である以上避けようのない使命であり、自分たちメギドをヴァイガルドを護るというその使命のために率いていってほしいとウァラクも思っている。それでも、今、この時間、この瞬間だけは。
彼に安らかな時間を過ごしてほしい。
このまだまだ男の"子"であるソロモンに、少しでもいいから心から安心できる時間を過ごしてほしい。
そんな祈りにも似た母性で、ウァラクはなにかかけてやるものを探しに行くのだった。